古代戦車の謎とサビの話

こういう目のつけどころを持っているのは、もしかしたら俺だけなのかなぁと、一人心もとない高梨です。

さて、西洋ならローマ帝国、東洋なら周〜三国時代と、古代外国史に興味を持ち始めて、もう十数年になります。今さらながら、高校のときにやっておけば進学だってもう少し選択肢が広がっただろうにとも思いますが、後の祭り。それに、大人になってからの勉強のいいところは、「忘れても何も困らない」ってことで気楽に本を読み漁っています。

そして、本で知るだけでも、昔の文明は大したもんだったんだなぁと感心しきりなんですが、今でもひとつだけわからないことがあります。それは、馬に牽かせて動かすタイプの戦車。カエサルも曹操も、普通に使っていた兵器ですが、いったい不思議だと思いませんか?

何が不思議かって?わからないならお教えしますが、ほら、あの軸受のところです。

丸いものが転がりやすいというのは、子供にだってわかる理屈です。そして、車輪の形なら紐と木炭さえあれば描けます。問題なのは、その上にどうやって物を載せ、安定をさせながら動かすか、です。

現代なら、ボールベアリングを使えばいい、ということは明白です。摩擦抵抗よりも転がり抵抗の方が圧倒的に小さいんですから。

私が不思議なのは、要するに、馬に牽かせて戦車がそれなりの速度で動いているとき、車輪の軸および軸受はなぜ摩擦で炭化してしまわないのか、という点です。軸が青銅ないし鉄製だったなら、それを取り囲んでいる軸受はどういう仕組みになっていたんでしょうか?木で作れないことは明白です。だって摩擦熱ですぐだめになりますから。なら、軸と軸受も鉄だったのか?木よりは丈夫でしょうが、かなりの摩擦になるでしょうね。

・・・などなどと考えていると、古代のエンジニア達に草葉の影から笑われていそうで、少々恥ずかしい気さえしてきます。

話はちょっと変わりますが、青銅あるいは鉄を人類が使うようになって、すでに4,000年が経ちました。新素材が次々に研究・開発されている現代でさえ、鉄は言うまでもなく広く用いられています。現代は鉄器時代なのです。

にもかかわらず、あの見苦しくてモロい赤褐色のサビに人類は悩まされ続けています。これだけ長いこと使っていて、誰もが知っている欠点であるにも関わらず、「絶対錆びない鉄」というのは未だにできません。これは鉄工業関係者の怠慢によるのでしょうか?

いや、そうではないのだ、ということをこの本を読んで最近知りました。

(鴨川市立図書館にも蔵書があるので、私が読み終わったら皆さん読んでみてください。w)

著者曰く、

ある腐食を記述しようとすると,いろいろのことを言わなければならない.どのような状態のどの種類の金属が,どのような環境条件のもとで,いかなる原因により,どんな形の腐食を起こしたかでワンセットである. (p.27 第3章 冒頭)

「腐食」というのは「サビ」の専門的な言い方なのですが、要するに、いわゆる5w1Hに近い記述をして、初めて腐食というものを語れるのだ、と。腐食されたのは鋳鉄なのか鋼なのかステンレスなのか、温度、湿度、密閉されていたか、いなかったのか、部分腐食か均一腐食か、などなどなど・・・・。

素人は「鉄が錆びた」などと簡単に言いますが、その原因たるや千差万別であって、これが防食(サビ止め)を難しくしているのだ、ということをこの本で知ることができました。

また、異種の金属が触れ合い、そこに溶媒(普通は水)が加わって電池が発生し、腐食を進行させるというくだりは、昔の理科の実験でやった電気分解や電池の制作を思い出して懐かしい思いがしました。

たかがサビ、されどサビ。ヒッタイト帝国のいにしえから綿綿と受け継がれてきた鉄器文明をいまだに脅かし続けるサビは、諸行無常を響かせる、祇園精舎の鐘の音を今日も曇らせているのかもしれません。

2 Comments

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戦車の軸受という着眼点は全く新鮮でした。カデシュの戦いでも、エジプト軍とヒッタイト軍のチャリオットの部隊が激突していますし、ミュケーナイの線文字Bにも、戦車と車輪のない戦車のフレームの二個の表語文字(Ideogram)があります。
戦車が使われなくなった古典期に文字に書かれたイーリアスなどでは、戦車は戦場タクシーのような扱われ方をしていますが、イーリオンを巡る戦いでも、両軍で戦車部隊が活躍したはずです。
鉄の製法はヒッタイト崩壊まで、ヒッタイトの国家機密だったと考えられていますし、黄金より貴重とされたことから考えると、軸受は青銅だったと考えるのが自然ですが、ご指摘のように、耐久性には相当問題があったでしょうし、そもそも、その構造がどうなっていたのか、疑問は尽きませんね。

古代において、軸受は今で言う滑り軸受が一般的でした。油に含浸させたある種の南洋材等はこの目的にとても適合していて、近代でも農村の水車などに使用例があります。
木で軸受が作れないと言うのは間違いですね。金属のベアリングもそうですが、いくら真球度が高いベアリングでも直接接触していたらあっという間に焼きつきます。金属のベアリングでも潤滑油が必要なのは明白で木製の軸受も潤滑油の供給があれば簡単には焼きつきません。
多孔質の素材である木材は材質により油分やワックス成分を多く持ち、更に油に含浸することによって自身が給油装置となることができるのです。
これが、近代でも木製軸受が使われた理由です。
もっともそれでは古代の木製軸受が、現在のボールベアリングのような精度を持つかと言うとそれはないわけで、古代の戦車は古代の機械工学の叡智の集大成とはいえ、現代の戦車同様に行軍中に多くの問題を引き起こしたでしょう。こうした場合の対応は現在の戦車と同様に基本的にはモジュール全体の交換になりますから、戦車は極めて運用に金のかかる武器でした。
また、映画などの影響で、古代の戦車が時速数十キロで走っているように誤解されているむきがあるようですが、古代の戦車はそんなスピードでは動いていません。鈍重で、維持に大金が必要な王族貴族専用の武器である戦車はすぐに集団的な騎馬戦術に対応できなくなり、廃れます。

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