Posted on : 05-12-2011 | By : sino | In : プログラム道, 地域社会, 読書道
こんばんは。小さい頃から図書館や書店で背表紙が並んでいる本棚を前にすると、ウ◯コを催してしまうくらい本が好きな高梨です。
さて、以前から寝かせていたアイデアではありますが、「個人間で書籍をシェアする」システムを作りたいなぁと常々思っておりました。で、技術的にこういうものを使えばできそうだ、という目処は立っていたんですが、実際に作るにあたって、あと2つほどクリアしなければならない点がありました。
一つは、「法律的に問題はないか?」という点です。基本的に、「何かが自由であることはいいことだ」と考える自由主義者の私ではありますが、さすがに
- 出版社や作家に起訴されたり
- 多額の賠償金を請求されたり
- 挙句の果てにはブタ箱に放り込まれたり
してまでもそれをやりたいか、と言われれば、答えは
全力でNO (゚Д゚ )!!
です。なので、法律、今回の場合は特に「著作権法」に照らして問題がないかを確認する必要がありました。
今の時代便利なもので、法律も全部Webに載っております。そこで、著作権法を調べてみるとこういう記述がありました。
第三十八条
4 公表された著作物(映画の著作物を除く。)は、営利を目的とせず、かつ、その複製物の貸与を受ける者から料金を受けない場合には、その複製物(映画の著作物において複製されている著作物にあつては、当該映画の著作物の複製物を除く。)の貸与により公衆に提供することができる。
要するに、貸し出す人がその見返りにお金を要求したり、貸し出し料を設定したら、それはアウトなんですね。まあ私が考えていたのも「貸本屋を助ける」システムではなく、個人間で相互に貸し借りする、それも手渡しできるくらいの地理範囲のことを考えていたので、これはクリアしていると考えてよさそうです。
さて、たぶん法的にはOKなのはいいとして、もう一つ私にとって心配なことがありました。それは、「作ったはいいけど、果たして使ってくれる人が本当にいるのか?」ということです。まあ開店同時に引きも切らないアクセスがあるだろう、とは思いませんが、一般の本好きのニーズにマッチしているかのか、もしかしたらこんな変なことを考えるのは私だけで、だーれも使ってくれなかったら開発を続けるモチベーションを維持するのも難しいでしょう。
読書というのはどちらかというと家の中の、個人的な性格の趣味なので、例えばスポーツなどのように試合や練習で仲間に出会う、ということはありません。ましてやこの鴨川で、読書人というのは目立たないマイナーな存在です。人口の割に書店は多いので、たぶん人数はそこそこいると思いますが見つけるのが難しい。
しかし、これもよくしたもので、Facebookで鴨川在住の、きっと私以上に本キチwな人を見つけることができ、この構想を話してみたところ、大いに乗ってくれ、ぜひやりましょう! ということになりました。これで、「ユーザ数 永久ZERO人!」という事態は避けられそうです。ε-(´∀`*)ホッ
さあ、あとはサクっと設計してガリガリコードを書くだけ!・・・なんですが、ま、ここからが技術屋として「産みの苦しさ」を乗り越えなければならないところです。
あ、「もうひとつ大事なことがあるだろっ!それでどうやって金を稼ぐんだYO!? ヽ(`Д´#)ノ」という声が聞こえてきましたので、お答えしておくと、
「ほとんど考えてませんが何か?」┐(´∀`)┌
です。w 私も一応商売人のセガレですから、全然考えていないわけではないんです、もちろん。というより、もし収益の見込みがあったら、私より先に誰かがやっているでしょうし、私自身ももっと熱心になっていたでしょう。ただ漠然と、今のところ考えているのは
- 他の地方自治体からお呼びがかかる(かもしれない)
- これを作ることにより、弊社や私の知名度があがる(かもしれない)
- 知名度が上がれば商売上有利になる(かもしれない)
というところです。
興味がまるで湧かなかったので、正確にそれを何というのかは忘れましたが 「評価経済社会」といって、最近は「有名になればなるほど幸せになれる時代」なんだそうです。まあ「自分よりフォロワー数の多い者には敬語を使え!」とのたまう人が現れるくらいなので、そうなのかもしれないなぁ、などとも思いますが、世に名を馳せるよりも「まずは自分が欲しい物を作る。そしてできれば多くの人にそれを使ってもらいたい」という感覚を大切にしようと思います。
Posted on : 21-11-2011 | By : sino | In : Hacking, LifeHack, 読書道
カメラで写真を取ることにはほとんど興味はないのですが、文書を電子化することにかけては目がない高梨です。スマホのカメラも、写真を取る機械としてよりも、ほとんどメモを手軽に取る道具としてしか使っておりません。
かなり以前、こんなエントリを書きましたが、やはりというか、自己満足に終わってしまい、ほとんど活用しておりませんでした。
が、前回も書いたように、タブレット端末での書籍・紙データの閲覧に「覚醒」してしまったため、「自炊生活」を始めることにしました。いや、この際だから証拠書類としての紙以外はすべて電子化してしまおうかと目論んでおります。
まず、今身の回りにある「紙」についてですが、これは大きく以下のように分類できます。
- 書籍
- 仕事で使うもの(=経費扱いになるものw)
- 技術書・・・厚い本が多い。電子化できれば協働者と共有できるなど、メリットも多い。
- 私用で買ったもの
- 文庫・新書・・・冊数では圧倒的多数。たぶん総数では1,000冊くらいある。1冊1冊は小さいが、チリ積も状態。
- ハードカバー・単行本・・・どちらかというと、持っていること自体に自己満足を覚える書籍。w 一部を除き再読することはあまりない。図書館に寄付してもいいかも。
- 漫画・・・あまり冊数はないけど、一応取っておきたい。
- 書類
- 証拠書類 ・・・契約書・領収書・納品書・レシートなど、紙の状態で取っておくことに意味があるもの。廃棄することはできない。
- 各種通知書類・・・紙自体は廃棄してもいいが、中の情報が重要なもの。卸値表・FAXで受けた書類など。
- 勝手に億られてくるカタログの類・・・一度目を通せばほぼ不要。電子化の必要もなし。
ただし、技術書の大多数は先日業者に頼んで電子化が済んでおりまして、電子化が必要になるのは、「文庫・新書」「漫画」「各種通知書」です。そこで前者2種についてはドキュメントスキャナ、後者についてはスマホのカメラかこのスキャナを使って電子化することにしました。
ドキュメントスキャナがあれば、書類用にも兼用すればいいのではないか、と思われるかもしれません。が、このスキャナにはドキュメントスキャナとは異なるある特長があります。
それは「SDカードを内蔵できる」という点です。それのどこが特長なんだ?とお思いかもしれませんが、SDカードが内蔵できるということはEye-Fiが使える、ということで、PCに繋げなくても、このスキャナ単体で読み取った結果をEvernoteにアップロードすることができます。そして、Evernoteには、画像内の文字をかなりの精度で読み取り、後で検索できるようにしてくれる、という非常に優れた機能があります。
経験上、「A4一枚の紙」が一番なくしやすいものです。いや、捨ててしまうことはないにしても、とにかくどこかに紛れやすい。ファイルなどに閉じておいても、どのファイルに閉じたかがわからなくなる、という感じです。であれば、PCを立ち上げていなくても、スキャナにセットするだけで読み取り、Evernoteに上げてくれるこのスキャナがベスト。以前書いたエントリでも、それを目論んではいましたが、
- 電池がすぐ切れる
- やはり外付けのアダプタは外れやすい。
という点であまり使い勝手のいいものではありませんでした。
書籍の電子化、いわゆる自炊は、どちらかというと私用のためなので、いつやってもいい作業です。とにかく本に埋もれた部屋をなんとかするためと、タブレット端末での閲覧をしたいがためのことですから。
さて、方針が見えてきたところで、早速スキャナを購入しました。といっても皆さんご存じのとおり、ピンからキリなら、必ずキリの方を選ぶのが貧乏性の私です。w まずヤフオクをチェックし、中古のScanSnap S510を1万円で落札。ジャンク扱いの品でしたので動くか不安でしたが、xsaneで所期の動作をすることを確認。あと、前述のコンパクトスキャナ EXMODE ScanBit S-45 がアマゾンでなんと77%オフの2,980円で出ていたので、即購入。内蔵するEye-Fiは以前のものを流用することにしました。ということで計15,000円ほどでスキャナについては準備ができました。
自炊には、書籍をどう分解するか(ほとんどの場合は裁断機を使うでしょうが)という課題がありますが、こちらについてはまた今度。
Posted on : 13-11-2011 | By : sino | In : Hacking, 読書道
おそらく本もロクに読まず、こんなつまらないブログをお読みの暇人の皆様こんにちは。w 仕事柄、というか個人的な興味が大半ですが、デジモノには目がない高梨です。
さて、世間ではやっと故スティーブ・ジョブズ氏の追悼モードからTPPに話題が移っており、そんな中ではありますが、「うは、やっぱiPadすげぇwww」と思ってしまったことが最近ありました。
というのも、手持ちの技術書を自炊屋さんに頼んでPDF化してあったのですが、それを読む機会がなく、ディスクの肥やし、いやクラウドの肥やしになってしまっており「このままじゃせっかく本買ってその上金かけて電子化したの意味ねーよな」とか自分でも思っておりました。が、ふと思いたち、iPad2に入れて読んでみたんですね。
愕然としました。
「今更何を?」とお思いの向きもあるかもしれませんが、なんかこう、今までとは全く違った読書体験でした。
何が違うかというと、まず頭に入っていくスピードが違う。普通に読んでいても速読しているような気分です。読んでいるのは技術書ですから、説明が理解できればいいわけで、人生の機微やユーモア、エンタテイメント性を求めているわけではありません(あってもいいとは思うけど)。それで技術書というとどうしても無味乾燥なイメージがあり、ついつい敬遠してしまう傾向がありましたが、これだけスイスイ頭に入ると逆に爽快です。
それから紙の書籍にはない、この「インタラクティブ」な感じ。読んでいる行為そのものが楽しくなります。私は人並以上に本が好きですし、テクノロジーについて知ることも好きですが、その私でさえ、技術書を読むときは「教科書」を読まされているような気がして、趣味の読書よりは不熱心になってしまいます。ですが、iPadなどのタブレットマシンで読むのは、そのイメージを払拭してくれます。今まで全く新しい方法で知識を得るというのは、それ自体大変興味深い。
「ならパソコンで読むのと変わらなくね?」と思ったあなた。そう、私もそう思っていたので、PDFをクラウドに入れっぱなしにしていたんです。でも、PCでPDF読むのって正直骨が折れません?ページを繰るのにボタンをクリックしたりスクロールバーをドラッグしたり・・・。あと、目の玉からの距離が遠いので、「読書」している気分とはほど遠いものがあります。が、タブレットを手に持って、スワイプしながら読み進めるのは、操作性・視認性の面から、はるかに「快適」です。
そして、私は日常的にブログやWebサイトをチェックしており、PCのモニタで文章を読むのにも慣れている方なのですが、iPadで書籍を読むのは、それともまた違った体験です。まず当たり前ですが、書籍ですから余分で目障りな「広告」がない。そして、これも当然ながらハイパーテキストでもないので、「リンク」や「ボタン」もない。要するに、文章そのものを読み込むことにぐっと集中できるわけです。紙の書籍でさえ、「片方のページ」という余分がありますが、それさえもないという点では、紙より優っていると言えるかもしれません。
・・・などとつらつら書いているうちに思い出したのですが、どうやら最近新会社を設立されたらしい私のアップル師匠のところで、初代iPadに触れた時まず感じたのは
んー確かに新聞や雑誌のビューア、あるいは書籍を読むんだったら秀逸ですね。でもそれだけじゃ勿体ないハードでもあります。
ということでした。それから1年半かかって、今更自分で感激しているわけですからアホな話なのかもしれません。
今のところ、電子化しているのは技術書の類だけなのですが、小説やドキュメンタリーなどだったらどうなのかなぁ。それに、紙書籍を電子化するときは、裁断するのが常識になっていますが、本当に非裁断ではできないんだろうか。なんかいろいろまたワクワクのタネが増えてきました。
Posted on : 24-03-2010 | By : sino | In : 地域社会, 読書道
先日、また市の図書館に行って3冊ほど本を借りてきました。今寝る前に読み進めています。
で、職員さんに「蔵書されてる本ってどのくらいあるんですか?」と尋ねたところ「だいたい7万冊です」と。
7万冊! ぱねぇ!w
一日に10冊読んだとしても19年はかかる計算になります。それだけの本が俺に読まれるのを書棚で待っていると思うとお尻がむずむずしてきちゃいますよね。よくそれで市内の本屋さんから苦情が出ないもんだなぁ。ある意味民業圧迫じゃないのかしら。
ただ、データとしてなら7万という数はそう多い方でもありません。私が手がけてきた、というよりバグとスパゲティコードを量産してきたシステムはだいたい検索対象が10万以上はあります。今時のハードウェアを使えば、検索の仕方にもよりますが、まあまあ実用的な速度で結果を出せるでしょう。
借りた本の履歴はまんま個人情報なので無理としても、蔵書データを丸ごと欲しいですね。Amazonやブックオフオンラインと連携するとか、twitter経由で感想コメント投稿できたりとか、いろいろ面白い使い方はあると思うんですが。
あと思うのは、学生さん(中高生くらい)に利用しやすいようにするといいんじゃないかと。私は高校生の時、一ヶ月の本代が10,000円越えることも珍しくなかったクチですが、今思うともっと図書館活用してればよかったなぁ。図書館には「日本文学全集」とか古典に分類されるような、カビ臭い本しかないものとばかり思ってました。まあそういうのも確かにありますけど、最近刊行された本も結構、いやほとんど置いてあります。多少入るのに時間がかかるかもしれませんが、本なんて、映画じゃあるまいし1ヶ月や1年読むのが遅れたところで、なんてことありません。
まあそれはいいとして、例えば天津からなら高校生の脚力をもってすれば図書館くらい軽々行けますが、長狭のぜぇご山の奥からだとちょっと辛いかもしれませんよね。あと時間的にも平日の利用は難しいでしょう。この辺、なんとかならんのでしょうか。ブックスキャナでガンガンスキャンして鴨川市内からはオンラインで読めるとか。Googleならやりそう、というか、やってますけど。
Posted on : 15-02-2010 | By : sino | In : Hacking, 読書道
ゼロを発見し、子供には二桁の九九を覚えさせるというIT列強国インドから、デフラグツールが出ていたので使ってみました。(ダウンロードはこちら)
・・・と普通ならここでそのツールの性能や評価などを書くのでしょうが、私の場合は違います。
他にもデフラグツールはたくさんあるのに、なんでこれに惹かれたかというと、その名前です。
インド建国の父といえば「ガンジー」なのは子供でも知っていますが、インドのカースト制度、男尊女卑社会、貧困に真っ向から立ち向かい、国会議員に当選を果たしたものの、敢えなく凶弾に倒れた女性闘士がいました。その名が「プーラン・デヴィ」。プーランとはヒンドゥ語で「花」の意味です。
前にテレビで彼女のことが特集されており、「げっ、インドってこんな国なのか」というかなり強いネガティブな印象を受けました。実状を知ったら呑気にインドカレーなんか食っていられませんよ。
ものはついでというわけで、デフラグツールを走らせながら、市の図書館で「女盗賊プーラン 上・下」を借りて一晩かけて読了しました。いつものことながら、この図書館、ほんとに私の読みたい本ばかり置いてくれています。
インドのカースト制度のことは学校でも習いましたし、知識として知ってはいましたが、なんせ「天は人の上に人を作らず」と公言した人がお札になってる国に住んでいるもので、なかなかその実状は知りませんでした。カーストについてご存知ない方のためにさらっと説明すると、インド固有の身分制度で、おおまかには、ブラフミン(僧侶)、クシャトリヤ(武士)、バイシャ(平民)、シュードラ(奴隷)、そして不可触民族とされるバリヤ、があります。
上に上げたのはあくまでおおまかな区切りで実際には何千もの位階があり、それよって床屋の子は床屋に、農民の子は農民にしかなれません。
プーランは、マッラというシュードラの一階級の家の子として生まれました。これ以上はないほど家は貧しく、おそらく、というのは彼女は生年を正確には知らないからなのですが、11才のときに結婚させられ、嫁ぎ先で筆舌に尽くしがたい虐待を受けます。ちなみにインドの法律では未成年(18才以下)の少女との婚姻は違法ですが、法の及ばない農村地帯ではそのようなこともまま起こっているそうです。結婚は破談になり、実家で過ごすうち、また結婚の話が持ち込まれます。が、そこでは妾が幅を効かせるようになり、正妻のプーランはネグレクトされます。とにかく、彼女は不幸になるために結婚させられるといってもいいくらいなのですが、そのうち、ひょんなはずみでダコイット(盗賊)に加わります。率いていたリーダーがやはりマッラ階級のヴィクラムというやつなのですが、これがすこぶるいい男。プーランに対してもやさしく接し、仲間からの信頼も厚い。男の私でも惚れそうな、度胸とやさしさを兼ね備えた義侠の徒なんですな。となるとプーランとの関係も・・・、とこれ以上は本を読んでください。w
しかし、「ひっどい国だ」なんて言って色々調べていたら、なんと我が日本もUNICEFの見解では「カースト」の国なんだそうです。部落差別問題とかのことかと思いましたが、意外に身近なことかもしれないと思い直しました。例えば政治家や芸能人は二世三世が当たり前ですし、一部の宗教家は悪く言えばその地位を血族で独占しています。いわゆる「世襲」ってやつですね。インドのように下位者を差別する意味でのネガティブなカーストはないかもしれませんが、比較的社会的上位者にはポジティブなカーストのようなものはあるのかもしれません。
ちょっと遠回りしましたが、結局冒頭のデフラグツールは、社長さんの名前がプーラン・チャンド・グプタさん(男性)の名にちなんだだけで、今までさんざん話題にしてきたプーラン・デヴィに敬意を込めて、というわけではないようです。なんだよ、それってなオチがついた所で今日のブログは終わりです。おやすみなさい。
Posted on : 16-09-2009 | By : sino | In : Hacking, 読書道, 雑考
SF小説のよくある主題として、「将来、こんな機械・発明・社会ができたら、人間はどうなるか」というものがあります。少子高齢化が問題となっている現代日本ではちょっと想像しにくいのですが、つい20年くらい前のSF作家が共通して取り上げている主題は「このまま人口が増え、工業化が進んだらどうなるか」というものでした。SFというと宇宙人とか光線銃が飛び交う子供向けの読み物と思われがちですが、意外と現実的で身近な主題も取り上げています。
で、アイザック・アシモフやレイ・ブラッドベリ、ロバート・A・ハインライン、アーサー・C・クラーク、日本なら星新一や筒井康隆、小松左京といった「古株の」SF作家たちもいろいろ未来について予想し、それに基づいた小説を発表しているのですが、彼らの本をかなりよく読んでいるつもりの私でも、未だに出くわさない主題が一つだけあります。
私が書いている時点でだいたい予想はつくでしょうが、そう、現代のいわゆる「IT社会」を予想したSF作家がいないのです。
もちろん「未来のコンピュータ」はこれでもかというくらい出てきます。もっともそれも必ずしも現実と合致してはいませんが。彼らの描くコンピュータはたいてい大型で、保守に多数の人員を要し、局所的に、つまり少数の場所で全ての仕事をこなすようになっています。
ブラッドベリの「ネット嫌い」は有名ですし、彼らが計算機というものに精通していないので仕方ないのかもしれませんが、それでもヒントはあったはずなのです。
インターネットは元々ARPA Netという「軍事利用のために」構築されたコンピュータネットワークが、最初は教育目的に、さらに民間利用に開放されてきたという、あまり知られていない歴史を持っています。
なぜ軍事目的でコンピュータを結ぶ必要があったかというと、「熱核戦争勃発時、情報中枢に支障をきたさないため」というのがその理由でした。手短に言うと、インターネットは「核攻撃を受けても大丈夫なように」作られたのです。実際、インターネットで使われているプロトコルは、一ヶ所で障害が起きてもそこを迂回して情報をやりとりされるように作られています。
で、核兵器の実使用で終結をみた先の大戦を経験し、コンピュータがだんだん実用化され始めてきた時代を生きたSF作家なら、「もしコンピュータ施設が核攻撃を受けたらどうなるか」という発想があってもいいと思うのですが、どうもそういう着想をした作家はいないようです。もしかしたら私が知らないだけかもしれませんし、アシモフなどは「真空の空に帆をあげて」という科学エッセイの中で、ほぼ現在の電子メールに近いものを予想していますが、ワールド・ワイド・ウェブや検索エンジン、パーソナル・コンピュータを予想した人はいませんでした。まあ小説のテーマにするには卑近すぎるのかもしれませんけれども、それにしても誰か一人くらいは予想していてもいいのではないかとも思うのです。
一つには情報技術というものがあまりにも急速に発展してきたためかもしれません。ハードウェアの加速度的な進歩は言うに及ばず、ソフトウェアの面でも革新的な設計思想が年々発表されています。しかし、しばしば「革命」と称されるほどに衆目を集めるこの分野ですが、実際には旧来からあった技術を寄せ集めてできあがっています。さらに言えばインターネットの素晴らしいところは、決して一社や一国に独占された技術に依存していないという点なのです。ビジネスの世界では「差別化」という言葉が当たり前に使われていますが、ITの世界には当てはまらない、と私は思っています。最初から非独占的な、誰でも参画できるなんでもありの世界なのですから、独占しようというほうが無理だと思います。
もしかしたら、SF作家が今のIT社会を予想できなかった原因は、この非独占性にあるのかもしれません。
ところで私にはSF小説のネタになる(と思える)アイデアがあるのですが、ディテールはおろかプロットも描けないでいます。ときどき暇なときにひねくり回して遊んでいます。もし形になったら非独占的なライセンスで発表したいと思います。
Posted on : 22-07-2009 | By : sino | In : 地域社会, 読書道, 雑考
塩野七生さんといえば、イタリアの歴史小説を数多く上梓されていて、歯に衣着せぬ人物評が大変面白い人です。
ここに、世に賞めそやされる使命感に燃えた人間の持つ危険と誤りがある。たしかに彼らには、狭い意味での利己心はない。だが、高い使命のために一身を捧げると思いこんでいるために、迷いや疑いを持たないから、独善的狂信的になりやすい。それで現実を見失う。だから、やり方は大胆であっても、やるひとつひとつが不統一になるのである。結果は失敗に終る。
上の引用は16世紀、キリスト教会の頂点の座である法王を勤めたジュリオ二世という人物に対する著者の評価。ジュリオ二世は法王の権威、わかりやすく言うと法王領を守りたいがために、フランス、ドイツ、スペイン、ベネツィア共和国などの周辺諸外国をとっかえひっかえ「毒をもって毒を制す」的に利用しました。
名指しすることは控えさせていただきますが、私にもこれに当てはまる知人が一人います。彼の志の高さと熱意たるや文句のつけようのない立派なものなのですが、私から見るとやや現実離れしていて、もう少し腰を据えて取り組んだ方がいいのに、結果を求めて次のことに手を出すという感じで、どうも落ち着きが感じられない。
かく言う私も名前に似ず飽きっぽい性質なのですが、彼と違うのはそれを自覚しているという点です。志だってあるけれどもあまりそれを表に出すことはありませんし、また適度に利己的でもあります。早い話、「お金にならない仕事はしない」ということです。誤解のないように言っておくと「お金になりそうな仕事」はします。お金になりそうかどうかは自分の勘で判断するしかなく、往々にして外れることもあるのですが。(笑
特に、声高らかに自分たちのしていることを「すばらしい」「画期的」と評している集団は軽いカルトとさえ言えるかもしれません。普通だったら「ああすればよかった」「こうすればいいのに」と常に反省の目を自分たちに向けるものです。それができなくなっているというのは自己チェック機能が失われた証拠で、一種の老害でしょうね。
Posted on : 04-05-2009 | By : sino | In : Hacking, 読書道
昨日、市の図書館とAmazonを相互参照するブックマークレットを公開しましたが、もう少し一般受けを狙ってAmazonとBookOffOnline を相互参照するブックマークレットを作ってみました。
Amazon⇔BookOffOnline
各書籍のページを表示した状態で↑のブックマークレットをクリックすると、BookOff から Amazon に、AmazonからBookOffにジャンプします。
IE6だとエラーになりますが、IE7, FireFox3 では確認取れています。 Amazonの検索結果に他のサイトの情報を引っ張ってくるGreaseMonkeyスクリプトがあるようですが、あまりGreaseMonkeyって好みじゃないので、ブックマークレットにしてみました。
Posted on : 06-03-2009 | By : sino | In : 地域社会, 読書道
例によって市の図書館で借りてきました。「最近生物学方面の本読んでないなー」と思い、ドーキンスなんて置いてないかなと思ったらやっぱりありました。この図書館はなんで俺の読みたい本ばっかり置いてあるんだろう。
さて、進化の歴史をありがちな、古細菌といった原始的な生物から始めていくのではなく、人間から、チンパンジー、哺乳類、爬虫類、両生類、魚類という具合に過去への「巡礼の旅」で出会う仲間たちの物語を展開しています。
ドーキンスというと「利己的な遺伝子」「神は妄想である」など、ややつっとんがった論調の本が多くて、その辺の言い切り方が好きだったりするのですが、この本はまあおとなしめです。逆に言うとキレが悪い。ライバルのスティーブン・J・グールドは、もってまわった文体が特徴ですが、それに近いものがあります。
そうそう、市の図書館は検索システムが刷新されたようで、携帯からも使えるようになってます。まだリンクされてないので、正式公開じゃないのかもしれませんが、このブログを読んでくれているみんなのために勝手に URL公開しちゃいます。
http://mlib.city.kamogawa.lg.jp/
本屋で買おうかどうか迷ったら、ここから蔵書されてるか調べてから決めましょう。
Posted on : 28-01-2009 | By : sino | In : 読書道
この本も例によって市の図書館で借りました。最近、あんまり本にお金を使っていないなぁ。
さて、以前のエントリで「哲学に憧れている」というようなことを書きましたが、「時間」は哲学で古くから取り上げられているテーマで、有名なところでは「ゼノンのパラドックス」というのがあります。カントやハイデッガーといった有名な哲学者も時間について語っており、特にハイデッガーの「存在と時間」はその代表的な著作でしょう。私は途中で読むのに挫折しましたが。
ただ、最近は「時間」とか「宇宙の始まり」というテーマは哲学者よりは物理学者あるいは天文学者の専売特許になってしまっていて、文系の私にとっては残念なところです。
この本も宇宙物理学が専門の著者によって書かれていますが、数式はほとんど出てこず、専門外の者にも読めるようになっています。アインシュタインがどのように時間と空間、重力を結びつけたか、双子のパラドックス、タキオン、タイムトラベルの可能性などが一通り語られ、最後の方で心理学的な立場から人間が時間をどのように認識しているか、が紹介されています。
文系なのに科学オタクの私は、一応アインシュタインの相対性理論、量子力学の骨子は掴んでいたのでその辺りのことは割とすんなり読めました。
あくまで哲学的に、揺り椅子の中で時間について思いをめぐらすのもそれはそれで楽しいのかもしれませんが、物理学・天文学が目覚しい前進を遂げている21世紀の今、科学の側から時間を考えてみなければならないのではないかと思っています。その意味において、哲学の一領域としての時間論は針の上で踊れる天使の数を論じる神学とあまり変わらないものになっているのかもしれません。