Archive for the ‘読書道’ Category
つん読?7万冊ありますが何か?
先日、また市の図書館に行って3冊ほど本を借りてきました。今寝る前に読み進めています。
で、職員さんに「蔵書されてる本ってどのくらいあるんですか?」と尋ねたところ「だいたい7万冊です」と。
一日に10冊読んだとしても19年はかかる計算になります。それだけの本が俺に読まれるのを書棚で待っていると思うとお尻がむずむずしてきちゃいますよね。よくそれで市内の本屋さんから苦情が出ないもんだなぁ。ある意味民業圧迫じゃないのかしら。
ただ、データとしてなら7万という数はそう多い方でもありません。私が手がけてきた、というよりバグとスパゲティコードを量産してきたシステムはだいたい検索対象が10万以上はあります。今時のハードウェアを使えば、検索の仕方にもよりますが、まあまあ実用的な速度で結果を出せるでしょう。
借りた本の履歴はまんま個人情報なので無理としても、蔵書データを丸ごと欲しいですね。Amazonやブックオフオンラインと連携するとか、twitter経由で感想コメント投稿できたりとか、いろいろ面白い使い方はあると思うんですが。
あと思うのは、学生さん(中高生くらい)に利用しやすいようにするといいんじゃないかと。私は高校生の時、一ヶ月の本代が10,000円越えることも珍しくなかったクチですが、今思うともっと図書館活用してればよかったなぁ。図書館には「日本文学全集」とか古典に分類されるような、カビ臭い本しかないものとばかり思ってました。まあそういうのも確かにありますけど、最近刊行された本も結構、いやほとんど置いてあります。多少入るのに時間がかかるかもしれませんが、本なんて、映画じゃあるまいし1ヶ月や1年読むのが遅れたところで、なんてことありません。
まあそれはいいとして、例えば天津からなら高校生の脚力をもってすれば図書館くらい軽々行けますが、長狭のぜぇご山の奥からだとちょっと辛いかもしれませんよね。あと時間的にも平日の利用は難しいでしょう。この辺、なんとかならんのでしょうか。ブックスキャナでガンガンスキャンして鴨川市内からはオンラインで読めるとか。Googleならやりそう、というか、やってますけど。
インド発のデフラグツール「Puran Defrag」
ゼロを発見し、子供には二桁の九九を覚えさせるというIT列強国インドから、デフラグツールが出ていたので使ってみました。(ダウンロードはこちら)
・・・と普通ならここでそのツールの性能や評価などを書くのでしょうが、私の場合は違います。
他にもデフラグツールはたくさんあるのに、なんでこれに惹かれたかというと、その名前です。
インド建国の父といえば「ガンジー」なのは子供でも知っていますが、インドのカースト制度、男尊女卑社会、貧困に真っ向から立ち向かい、国会議員に当選を果たしたものの、敢えなく凶弾に倒れた女性闘士がいました。その名が「プーラン・デヴィ」。プーランとはヒンドゥ語で「花」の意味です。
前にテレビで彼女のことが特集されており、「げっ、インドってこんな国なのか」というかなり強いネガティブな印象を受けました。実状を知ったら呑気にインドカレーなんか食っていられませんよ。
ものはついでというわけで、デフラグツールを走らせながら、市の図書館で「女盗賊プーラン 上・下」を借りて一晩かけて読了しました。いつものことながら、この図書館、ほんとに私の読みたい本ばかり置いてくれています。
インドのカースト制度のことは学校でも習いましたし、知識として知ってはいましたが、なんせ「天は人の上に人を作らず」と公言した人がお札になってる国に住んでいるもので、なかなかその実状は知りませんでした。カーストについてご存知ない方のためにさらっと説明すると、インド固有の身分制度で、おおまかには、ブラフミン(僧侶)、クシャトリヤ(武士)、バイシャ(平民)、シュードラ(奴隷)、そして不可触民族とされるバリヤ、があります。
上に上げたのはあくまでおおまかな区切りで実際には何千もの位階があり、それよって床屋の子は床屋に、農民の子は農民にしかなれません。
プーランは、マッラというシュードラの一階級の家の子として生まれました。これ以上はないほど家は貧しく、おそらく、というのは彼女は生年を正確には知らないからなのですが、11才のときに結婚させられ、嫁ぎ先で筆舌に尽くしがたい虐待を受けます。ちなみにインドの法律では未成年(18才以下)の少女との婚姻は違法ですが、法の及ばない農村地帯ではそのようなこともまま起こっているそうです。結婚は破談になり、実家で過ごすうち、また結婚の話が持ち込まれます。が、そこでは妾が幅を効かせるようになり、正妻のプーランはネグレクトされます。とにかく、彼女は不幸になるために結婚させられるといってもいいくらいなのですが、そのうち、ひょんなはずみでダコイット(盗賊)に加わります。率いていたリーダーがやはりマッラ階級のヴィクラムというやつなのですが、これがすこぶるいい男。プーランに対してもやさしく接し、仲間からの信頼も厚い。男の私でも惚れそうな、度胸とやさしさを兼ね備えた義侠の徒なんですな。となるとプーランとの関係も・・・、とこれ以上は本を読んでください。w
しかし、「ひっどい国だ」なんて言って色々調べていたら、なんと我が日本もUNICEFの見解では「カースト」の国なんだそうです。部落差別問題とかのことかと思いましたが、意外に身近なことかもしれないと思い直しました。例えば政治家や芸能人は二世三世が当たり前ですし、一部の宗教家は悪く言えばその地位を血族で独占しています。いわゆる「世襲」ってやつですね。インドのように下位者を差別する意味でのネガティブなカーストはないかもしれませんが、比較的社会的上位者にはポジティブなカーストのようなものはあるのかもしれません。
ちょっと遠回りしましたが、結局冒頭のデフラグツールは、社長さんの名前がプーラン・チャンド・グプタさん(男性)の名にちなんだだけで、今までさんざん話題にしてきたプーラン・デヴィに敬意を込めて、というわけではないようです。なんだよ、それってなオチがついた所で今日のブログは終わりです。おやすみなさい。
SF作家も予想しえなかったもの。それは・・・
SF小説のよくある主題として、「将来、こんな機械・発明・社会ができたら、人間はどうなるか」というものがあります。少子高齢化が問題となっている現代日本ではちょっと想像しにくいのですが、つい20年くらい前のSF作家が共通して取り上げている主題は「このまま人口が増え、工業化が進んだらどうなるか」というものでした。SFというと宇宙人とか光線銃が飛び交う子供向けの読み物と思われがちですが、意外と現実的で身近な主題も取り上げています。
で、アイザック・アシモフやレイ・ブラッドベリ、ロバート・A・ハインライン、アーサー・C・クラーク、日本なら星新一や筒井康隆、小松左京といった「古株の」SF作家たちもいろいろ未来について予想し、それに基づいた小説を発表しているのですが、彼らの本をかなりよく読んでいるつもりの私でも、未だに出くわさない主題が一つだけあります。
私が書いている時点でだいたい予想はつくでしょうが、そう、現代のいわゆる「IT社会」を予想したSF作家がいないのです。
もちろん「未来のコンピュータ」はこれでもかというくらい出てきます。もっともそれも必ずしも現実と合致してはいませんが。彼らの描くコンピュータはたいてい大型で、保守に多数の人員を要し、局所的に、つまり少数の場所で全ての仕事をこなすようになっています。
ブラッドベリの「ネット嫌い」は有名ですし、彼らが計算機というものに精通していないので仕方ないのかもしれませんが、それでもヒントはあったはずなのです。
インターネットは元々ARPA Netという「軍事利用のために」構築されたコンピュータネットワークが、最初は教育目的に、さらに民間利用に開放されてきたという、あまり知られていない歴史を持っています。
なぜ軍事目的でコンピュータを結ぶ必要があったかというと、「熱核戦争勃発時、情報中枢に支障をきたさないため」というのがその理由でした。手短に言うと、インターネットは「核攻撃を受けても大丈夫なように」作られたのです。実際、インターネットで使われているプロトコルは、一ヶ所で障害が起きてもそこを迂回して情報をやりとりされるように作られています。
で、核兵器の実使用で終結をみた先の大戦を経験し、コンピュータがだんだん実用化され始めてきた時代を生きたSF作家なら、「もしコンピュータ施設が核攻撃を受けたらどうなるか」という発想があってもいいと思うのですが、どうもそういう着想をした作家はいないようです。もしかしたら私が知らないだけかもしれませんし、アシモフなどは「真空の空に帆をあげて」という科学エッセイの中で、ほぼ現在の電子メールに近いものを予想していますが、ワールド・ワイド・ウェブや検索エンジン、パーソナル・コンピュータを予想した人はいませんでした。まあ小説のテーマにするには卑近すぎるのかもしれませんけれども、それにしても誰か一人くらいは予想していてもいいのではないかとも思うのです。
一つには情報技術というものがあまりにも急速に発展してきたためかもしれません。ハードウェアの加速度的な進歩は言うに及ばず、ソフトウェアの面でも革新的な設計思想が年々発表されています。しかし、しばしば「革命」と称されるほどに衆目を集めるこの分野ですが、実際には旧来からあった技術を寄せ集めてできあがっています。さらに言えばインターネットの素晴らしいところは、決して一社や一国に独占された技術に依存していないという点なのです。ビジネスの世界では「差別化」という言葉が当たり前に使われていますが、ITの世界には当てはまらない、と私は思っています。最初から非独占的な、誰でも参画できるなんでもありの世界なのですから、独占しようというほうが無理だと思います。
もしかしたら、SF作家が今のIT社会を予想できなかった原因は、この非独占性にあるのかもしれません。
ところで私にはSF小説のネタになる(と思える)アイデアがあるのですが、ディテールはおろかプロットも描けないでいます。ときどき暇なときにひねくり回して遊んでいます。もし形になったら非独占的なライセンスで発表したいと思います。
塩野七生著「神の代理人」読中レビュー
塩野七生さんといえば、イタリアの歴史小説を数多く上梓されていて、歯に衣着せぬ人物評が大変面白い人です。
ここに、世に賞めそやされる使命感に燃えた人間の持つ危険と誤りがある。たしかに彼らには、狭い意味での利己心はない。だが、高い使命のために一身を捧げると思いこんでいるために、迷いや疑いを持たないから、独善的狂信的になりやすい。それで現実を見失う。だから、やり方は大胆であっても、やるひとつひとつが不統一になるのである。結果は失敗に終る。
上の引用は16世紀、キリスト教会の頂点の座である法王を勤めたジュリオ二世という人物に対する著者の評価。ジュリオ二世は法王の権威、わかりやすく言うと法王領を守りたいがために、フランス、ドイツ、スペイン、ベネツィア共和国などの周辺諸外国をとっかえひっかえ「毒をもって毒を制す」的に利用しました。
名指しすることは控えさせていただきますが、私にもこれに当てはまる知人が一人います。彼の志の高さと熱意たるや文句のつけようのない立派なものなのですが、私から見るとやや現実離れしていて、もう少し腰を据えて取り組んだ方がいいのに、結果を求めて次のことに手を出すという感じで、どうも落ち着きが感じられない。
かく言う私も名前に似ず飽きっぽい性質なのですが、彼と違うのはそれを自覚しているという点です。志だってあるけれどもあまりそれを表に出すことはありませんし、また適度に利己的でもあります。早い話、「お金にならない仕事はしない」ということです。誤解のないように言っておくと「お金になりそうな仕事」はします。お金になりそうかどうかは自分の勘で判断するしかなく、往々にして外れることもあるのですが。(笑
特に、声高らかに自分たちのしていることを「すばらしい」「画期的」と評している集団は軽いカルトとさえ言えるかもしれません。普通だったら「ああすればよかった」「こうすればいいのに」と常に反省の目を自分たちに向けるものです。それができなくなっているというのは自己チェック機能が失われた証拠で、一種の老害でしょうね。
[休日ハックその2]Amazon⇔BookOffOnline相互参照ブックマークレット
昨日、市の図書館とAmazonを相互参照するブックマークレットを公開しましたが、もう少し一般受けを狙ってAmazonとBookOffOnline を相互参照するブックマークレットを作ってみました。
各書籍のページを表示した状態で↑のブックマークレットをクリックすると、BookOff から Amazon に、AmazonからBookOffにジャンプします。
IE6だとエラーになりますが、IE7, FireFox3 では確認取れています。 Amazonの検索結果に他のサイトの情報を引っ張ってくるGreaseMonkeyスクリプトがあるようですが、あまりGreaseMonkeyって好みじゃないので、ブックマークレットにしてみました。
[ほぼ読了レビュー]リチャード・ドーキンス「祖先の物語」
例によって市の図書館で借りてきました。「最近生物学方面の本読んでないなー」と思い、ドーキンスなんて置いてないかなと思ったらやっぱりありました。この図書館はなんで俺の読みたい本ばっかり置いてあるんだろう。
さて、進化の歴史をありがちな、古細菌といった原始的な生物から始めていくのではなく、人間から、チンパンジー、哺乳類、爬虫類、両生類、魚類という具合に過去への「巡礼の旅」で出会う仲間たちの物語を展開しています。
ドーキンスというと「利己的な遺伝子」「神は妄想である」など、ややつっとんがった論調の本が多くて、その辺の言い切り方が好きだったりするのですが、この本はまあおとなしめです。逆に言うとキレが悪い。ライバルのスティーブン・J・グールドは、もってまわった文体が特徴ですが、それに近いものがあります。
そうそう、市の図書館は検索システムが刷新されたようで、携帯からも使えるようになってます。まだリンクされてないので、正式公開じゃないのかもしれませんが、このブログを読んでくれているみんなのために勝手に URL公開しちゃいます。http://mlib.city.kamogawa.lg.jp/
本屋で買おうかどうか迷ったら、ここから蔵書されてるか調べてから決めましょう。
ほぼ読了レビュー「時間について」
この本も例によって市の図書館で借りました。最近、あんまり本にお金を使っていないなぁ。
さて、以前のエントリで「哲学に憧れている」というようなことを書きましたが、「時間」は哲学で古くから取り上げられているテーマで、有名なところでは「ゼノンのパラドックス」というのがあります。カントやハイデッガーといった有名な哲学者も時間について語っており、特にハイデッガーの「存在と時間」はその代表的な著作でしょう。私は途中で読むのに挫折しましたが。
ただ、最近は「時間」とか「宇宙の始まり」というテーマは哲学者よりは物理学者あるいは天文学者の専売特許になってしまっていて、文系の私にとっては残念なところです。
この本も宇宙物理学が専門の著者によって書かれていますが、数式はほとんど出てこず、専門外の者にも読めるようになっています。アインシュタインがどのように時間と空間、重力を結びつけたか、双子のパラドックス、タキオン、タイムトラベルの可能性などが一通り語られ、最後の方で心理学的な立場から人間が時間をどのように認識しているか、が紹介されています。
文系なのに科学オタクの私は、一応アインシュタインの相対性理論、量子力学の骨子は掴んでいたのでその辺りのことは割とすんなり読めました。
あくまで哲学的に、揺り椅子の中で時間について思いをめぐらすのもそれはそれで楽しいのかもしれませんが、物理学・天文学が目覚しい前進を遂げている21世紀の今、科学の側から時間を考えてみなければならないのではないかと思っています。その意味において、哲学の一領域としての時間論は針の上で踊れる天使の数を論じる神学とあまり変わらないものになっているのかもしれません。
「ネメシス」読中レビュー
先日は世界史小説が好き、というようなことをいいましたが、実は中学のときに国語の授業で星新一を知って以来、SFのファンでもあります。国内のSF作家というと言うべき人は少ないですが、海外には多数いて、「英語を勉強すれば、海外の小説も読めるんだ!」と当たり前のことに気づき、それが英語を勉強する動機になったというのもあります。実際、スティーブン・キングやロアルド・ダールといった作家の短編は原書で読んだこともあります。
さて、今回読んでいるのはアメリカを代表するSF作家、故アイザック・アシモフ後期の作品「ネメシス」です。アシモフというと、ロボットもの(「アイ・ロボット」は映画にもなりましたね)、銀河帝国ものが有名ですが、この作品はそのどちらの流れにも組しないという点で異色の作品です。書店でハードカバーをみかけたことがあるのですが、そのときは買いませんでした。ハードカバーで値段が高かったこともありますが、他のシリーズを読み終えていなかったので、まだ手をつけないでおこう、と思ったというのもあります。今回は例によって鴨川市立図書館で借りてきました。市の図書館、なぜか結構私の好みの本を置いてくれています。私以外にも好事家がいるんでしょうかね。(笑
確か、この作品には人類以外の知的生命体が登場すると何かの書評で読んだ気がするのですが、定かではありません。それら知的生命体を巨匠がどのように描くのか、楽しみでもあります。
「アラブが見た十字軍」読中レビュー
恥を忍んで言いますが、高校のとき、社会はいつも赤点ギリギリでした。特に世界史はひどかった。こっちであれやこれやが起こっている一方で、あっちで起こっているあれやこれやまで覚えなければなりませんから、ほとんど脳みそパンク状態です。
が、その反動からか、最近、歴史小説、特に外国の歴史について書かれた本にハマッています。塩野七海さんの「ローマ人の物語」とかはハードカバーが出るたびに金に糸目をつけず買っていました。
ただ、気をつけているのは、一方の歴史観に染まらないこと。ガリアを征服したカエサルは確かに偉大でしたが、一方で征服された側の視点というのもあるだろうな、と思って佐藤賢一さんの「カエサルを撃て!」も読みました。どちらも「物語」ですから多分に著者の思い入れがあり、それを承知で読む分には非常に参考になります。
さて、今回読んでいるのは市の図書館で借りてきたアミン・マアルーフ著/牟田口義郎・新川雅子訳「アラブが見た十字軍」です。
これに出てくるフランク(フランス)軍というのがひどい。征服したイスラムの地の財宝を略奪するのは大目に見るとしても、 ムスリム(イスラム教徒)の人肉まで焼いたり茹でたりして食べたというのですから、ほとんど食人鬼集団です。
今でこそヨーロッパ文化の顔みたいな、優雅で洗練された文化を誇っているフランスですが、1000年くらい前にはただの蛮族、それも相当狂気じみた民族だったということがよくわかります。
これはなにもフランク族に限ったことではなく、ブリタニア(現イングランド)では戦って勝った相手の生首を家門にかけて悪魔祓いのしるしとしていましたし、中国では籠城が長引いて糧食が底をつくと、子供を殺して食べることが普通に行われていました。首仮族や食人種は、なにも南洋の専売特許ではありません。
だから人種の坩堝である米国で凶悪な犯罪が頻発しているとしても、何も不思議なことはありません。あれは全てご先祖の血がそうさせているのです。
あまりプロトタイプを植えつけるのはよくないかもしれませんが、ヨーロッパ人だからといってゆめゆめ先進的で優雅だなどと思うことのなきよう。一皮剥けばその正体は首狩族・食人鬼の末裔なのですから。
「哲学は人生の役に立つのか」読中レビュー
今、木田元著「哲学は人生の役に立つのか」という本を読んでいます。タイトルに惹かれて買ったのですが、そのことでもお分かりのように、私は「哲学ミーハー」です。デカルト、ヘーゲル、カント、ハイデガー、サルトル、などなどといった名前を聞くともうそれだけで「萌え」てしまいます。(w その哲学を理解しているかというとまた別の話で、男の子が飛行機や電車に憧れるような、そんな淡い憧憬を哲学というものに抱いていて、長い人生の間でいつかは理解できるようになりたいと思っています。
まあ自分のことはどうでもいいとして、この本の始めの方に書いてあった文が興味深かったので引用します。
私が問題にしたいのは、技術は、人間が、あるいは人間の理性が産み出したものだから、結局は人間の理性によってコントロールできるはずだという、安易な、というより傲慢な考え方です。本来は、技術は理性などとはちがった根源をもち、理性などよりもっと古い由来をもつもので、理性などの手に負えるものではない、と考えるべきなのではないでしょうか。
著者に言わせると、人間が技術を発展させてきたのではなく、技術そのものが意思をもち、人間を人間たらしめたのだということなんですね。「利己的な遺伝子」の最後の方で出てくる「ミーム」という概念通ずるものがあります。
私は一技術者として「技術は人の役に立つためにある。」と信じていましたから、この見方は新鮮でした。人間が技術を使っているのではなく、技術の方が人間をコントロールしているなんて思いもよりませんでした。
まあ確かにそういう面もあるのかもしれない。地球を何回も破滅させることができる兵器が現に存在し、電車に乗り込んだ高校生がまず何より先に携帯を開く状況を見れば、「技術が人間を支配しているのだ」という主張も頷けないではありません。
でも、それでも私は理性を信じたい。技術は確かに危険な、マイナスの面も持ち合わせていますが、結局は人間が人間のために発展させたものなのだから、理性でコントロールできないはずはない、と信じる、というより願っています。楽観的すぎるでしょうか。
例えば、コンピュータプログラムには「バグ」と呼ばれる欠陥が、必ずといっていいほどあります。 もちろんテストはするのですが、それでも完全に除くことは難しいものです。自分の書いたプログラムのバグを潰すのは根気のいる作業なのですが、「自分で作ったものなのだから自分で解決できないはずがない」と思ってやっています。パソコンのトラブル対応にしても、「人間が作ったものなのだから人間に直せないはずはない」と思って、というよりほとんど信じてやっています(程度にもよりますが)。
自分でも大変不思議なことに(苦笑)、今までのところ解決できなかった問題はないのでこんな会社をやっているわけです。世間的には「技術者」なんて偉そうな肩書きを名乗ってますが、実際はそんなものです。いくら先進の、「すごい」技術でも、その先端のところでは変わらないのではないでしょうか。逆に言えば、けっこう技術って人間臭いのです。
だから、著者の主張に賛成できないことはないものの、もう少し技術というものに安心してつきあって見てもいいのではないかと思っています。
他にもこの本に書かれていることは面白いので、一読の価値あり、です。
