SF作家も予想しえなかったもの。それは・・・

SF小説のよくある主題として、「将来、こんな機械・発明・社会ができたら、人間はどうなるか」というものがあります。少子高齢化が問題となっている現代日本ではちょっと想像しにくいのですが、つい20年くらい前のSF作家が共通して取り上げている主題は「このまま人口が増え、工業化が進んだらどうなるか」というものでした。SFというと宇宙人とか光線銃が飛び交う子供向けの読み物と思われがちですが、意外と現実的で身近な主題も取り上げています。

で、アイザック・アシモフやレイ・ブラッドベリ、ロバート・A・ハインライン、アーサー・C・クラーク、日本なら星新一や筒井康隆、小松左京といった「古株の」SF作家たちもいろいろ未来について予想し、それに基づいた小説を発表しているのですが、彼らの本をかなりよく読んでいるつもりの私でも、未だに出くわさない主題が一つだけあります。

私が書いている時点でだいたい予想はつくでしょうが、そう、現代のいわゆる「IT社会」を予想したSF作家がいないのです。

もちろん「未来のコンピュータ」はこれでもかというくらい出てきます。もっともそれも必ずしも現実と合致してはいませんが。彼らの描くコンピュータはたいてい大型で、保守に多数の人員を要し、局所的に、つまり少数の場所で全ての仕事をこなすようになっています。

ブラッドベリの「ネット嫌い」は有名ですし、彼らが計算機というものに精通していないので仕方ないのかもしれませんが、それでもヒントはあったはずなのです。

インターネットは元々ARPA Netという「軍事利用のために」構築されたコンピュータネットワークが、最初は教育目的に、さらに民間利用に開放されてきたという、あまり知られていない歴史を持っています。

なぜ軍事目的でコンピュータを結ぶ必要があったかというと、「熱核戦争勃発時、情報中枢に支障をきたさないため」というのがその理由でした。手短に言うと、インターネットは「核攻撃を受けても大丈夫なように」作られたのです。実際、インターネットで使われているプロトコルは、一ヶ所で障害が起きてもそこを迂回して情報をやりとりされるように作られています。

で、核兵器の実使用で終結をみた先の大戦を経験し、コンピュータがだんだん実用化され始めてきた時代を生きたSF作家なら、「もしコンピュータ施設が核攻撃を受けたらどうなるか」という発想があってもいいと思うのですが、どうもそういう着想をした作家はいないようです。もしかしたら私が知らないだけかもしれませんし、アシモフなどは「真空の空に帆をあげて」という科学エッセイの中で、ほぼ現在の電子メールに近いものを予想していますが、ワールド・ワイド・ウェブや検索エンジン、パーソナル・コンピュータを予想した人はいませんでした。まあ小説のテーマにするには卑近すぎるのかもしれませんけれども、それにしても誰か一人くらいは予想していてもいいのではないかとも思うのです。

一つには情報技術というものがあまりにも急速に発展してきたためかもしれません。ハードウェアの加速度的な進歩は言うに及ばず、ソフトウェアの面でも革新的な設計思想が年々発表されています。しかし、しばしば「革命」と称されるほどに衆目を集めるこの分野ですが、実際には旧来からあった技術を寄せ集めてできあがっています。さらに言えばインターネットの素晴らしいところは、決して一社や一国に独占された技術に依存していないという点なのです。ビジネスの世界では「差別化」という言葉が当たり前に使われていますが、ITの世界には当てはまらない、と私は思っています。最初から非独占的な、誰でも参画できるなんでもありの世界なのですから、独占しようというほうが無理だと思います。

もしかしたら、SF作家が今のIT社会を予想できなかった原因は、この非独占性にあるのかもしれません。

ところで私にはSF小説のネタになる(と思える)アイデアがあるのですが、ディテールはおろかプロットも描けないでいます。ときどき暇なときにひねくり回して遊んでいます。もし形になったら非独占的なライセンスで発表したいと思います。

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