台風の中、地元の神社祭礼も無事終わって一息ついている高梨です。
さて、2005年に旧天津小湊町が鴨川市に吸収合併されて以来、いや、実はそれ以前から、旧鴨川市地域の地名って随分わかりにくいよな、と思ってました。天津っ子の感覚からすると、横渚くらいはまだいいとして、竹平とか大里とか天面とか貝渚とか、
こまっけえわけすぎだっぺよ! もちっとまとまりゃいいんに!
と感じなくもなかったんです。が、そこはその土地の方針とか歴史的背景があるでしょうから、「よそんもん」からはとやかく申しますまい。
ところで、先ほど書いた合併以来、市外の人に名乗るとき、「天津から来た◯◯と申します」から「鴨川から来た◯◯と申します」に切り替えたという天津地区出身者は多いのではないでしょうか。そして、心の中で、何か故郷を裏切ったような感覚に襲われなかったでしょうか。
かく言う私自身がそうでした。というのも、ある日、某元勤務先企業に電話をかけた際、取り付いだ人が「鴨川の高梨さんからお電話です」と言っていたのを耳にしたんですね。ああそうか、外部から見ると俺は「鴨川の高梨」なんだなぁ、と認識を新たにし、それ以来、仕事などで自己紹介するときも「鴨川から来ました」「鴨川の高梨です」と名乗るようにしてきました。前だったら「実は甘栗が名産でしてね・・・」なんて冗談も言えたんですけどね。
しかし、この8年、市内ほうぼうを回って思ったのは、『天津』という地名が包含する人口は実は一番大きいんじゃないか、ということでした。もちろん、長狭地区、田原地区、江見地区、など「大雑把な」呼称はあります。ですが、頼りになる宛先の情報が郵便番号だけだった場合、299-5503(天津)と296-0013(田原西)では郵便屋さんにとっての困り具合は前者の方が圧倒的に大きいはずです。
実際、鴨川市統計書(平成22年度版)を参照してみると、「天津地区天津」の人口は3,335人と、2位の「鴨川地区横渚」の2,979人と比べても突出しており、最大の人口を擁していることがわかります。なんと、天津は鴨川市で一番人間がいるところなのでした!
こうなってくると「鴨川市」から「天津市」に改名したほうがいいんじゃないかと思えてきますが、まあそれはさすがに控えましょう。ただ、これからは胸を張って「天津から来ました」と名乗ることにしたいと思います。「鴨川を知ってて天津を知らないって?そりゃモノを知らなすぎますね」くらい言うかもしれません。