今日はお休み&帰納と演繹について

今日は一日仕事をしないことにしました。といってもこうしてパソコンには向っているし、買ってきた本も仕事に関係ないこともないので、完全にオフってわけではないんですけどね。私に取っての休日とは「積極的に生産的なことは行わない日」という程度の意味です。


新書『99.9%は仮説』を読みました。自称「科学オタク」の私に取っては知識としてはあまり得るものはありませんでしたが、ミリカンが自説に否定的な実験結果を無視したというのは初めて知りました。科学も結構バクチなんだなぁ。本としては全体に相対主義的で、思想的には相容れないものを感じたりもしました。まあタイトルから考えて当然か。


この本でも触れられていますが「帰納と演繹」については思うところがあるので少し。

今、私と同年代くらいの人達の間では「マーケティング」という言葉が絶対と言っていいくらい支持されています。まあ支持されているというか、ビジネスの話は「マーケティング」という言葉を知っていることが前提になっています。で、この「マーケティング」なる言葉の意味するところは、というと「市場調査」。つまり、何か新しい企画、商品を開発するにあたっては、消費者全体の動向を調べてからにしなさい、というわけです。データから「この商品は売れるに違いない、いや売れないだろう」という判断を下すわけですから、非常に帰納的な手法です。

がしかし、私は常々この「マーケティング」という言葉を胡散臭いと思って、「嘘には3つの種類がある。 嘘、真っ赤な嘘、そして統計である。」と言った政治家が誰だったかは忘れましたが、統計なんてイワシの頭ほども当てにできるものじゃありません。売れるか売れないか、流行るか流行らないかくらい直感的に判らなくて何が経営か、何が商品開発かと言いたい。本当のイノベーションとはそれ単体で価値があるもので、単に大衆に支持されたから売れた、という程度のものではないはずです。

私が地方を好きな理由のひとつはここにもあって、要は田舎の経済はとても演繹的に動いているんです。ある店が流行る理由は、その店の経営者一人に依るところが大きく、決して大衆好みのメニューを出しているからではないんですね。座敷がすすけているとかオヤジが無愛想だとかなんていうのは「マーケティング」の観点からすればマイナスポイントでしかないんでしょうが、田舎の価値観からすれば、そんなことはどうでもいいんです。演繹的に、試行錯誤の末に開発された商品にこそ価値があったり、その店のオリジナリティとかキャラクタリティがあって、とても分りやすい。

ただ、ホテルや旅館など宿泊施設の経営が難しいだろうなと思うのは、そういう価値観ばかりを押しつけにはできないという点です。アメニティが充実しているか、部屋は清潔か、風呂は自由に入れるか、などなど、都会の価値観、言い変えればチェックボックスのオン、オフでなされる評価もあるわけです。私が思うところの宿の良さってそんなものじゃないんですが、現実にネット上ではそういう評価がされています。何よりもきっとここが宿泊施設経営者のネットに対する不満な点だと思います。

「帰納と演繹」からはちょっとズレたかもしれませんが、要するに言いたいことは帰納、マーケティングが全てではない、ということです。同様に民主主義についても言いたいことがあるのですが、それは別の機会に。

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