なぜ本を読むか

高梨は昔から本を読むのが好きです。これがいいことか悪いことかは一概に言えません。確か、ショーペンハウエルは読書を悪いことのように言っていたと思います。中島敦も「文字禍」という作品の中で、文字に依存するようになってからの人類にもたらされた弊害を描いています。実感としても本から得られた知識が役に立つ場面というのはそうありません。

と書くと、「じゃあ本読むのなんか止めればいいじゃないか」という声が聞こえそうですが、そうはいかないんです。なぜなら中毒しているから。

例えば、現在日本では麻薬の使用が法律的に禁止されています。拳銃を持つことも禁止。連続猟奇猟奇殺人事件も自分でやればほぼ確実に死刑。

ただし、それらについて書かれた本を読むのは、完全に合法です。本の中で麻薬中毒者や猟奇殺人の行動を追体験するのは、少し想像力が要りますが、なかなかに楽しいものです。小公女は本の中で、空を飛んだり知らない外国を訪れるのが趣味だったようですが、そんな穏かなことに限らなくたっていいわけですよね。子供の将来を考えるのであれば、小さいころから本や物語を好きにさせるのは慎重になった方がいいでしょう。まずプロスポーツ選手にはなれないでしょうし、目も悪くなるので、パイロットやCAも難しくなります。懐疑的な視点を身につけてしまい、職業軍人(特に下士官)も向かないかもしれません。


日本は小説発祥の地?

そもそも文字は事実を記録するために発明されたものですが、上にも書いたように最古のバーチャルマシンという面もあります。ここで、本の中ではいかに早く人間が月へ行くことを描いていたかを示すために、シラノ・ド・ベルジュラックの「月世界旅行旅行」を挙げようとしたのですが、ハタと思いつくことがありました。そう、日本には「竹取の翁の物語」、通称「かぐや姫」がありますよね!

かぐや姫に限らず、事実の記録ではないフィクションが文字化されたのは日本が初めてなのではないでしょうか?ここで神話の類は除きます。そもそも神話はフィクションとしてではなく、まさに実際に起ったこととして書かれていたからです。(アメリカにおけるファンダメンタリスト達はまさにその視点から、学校で進化論を教えることに反対しています。) 日本神話やギリシア神話はフィクション性が高いとは思いますが、ギリギリアウトにさせてください。それらを語る神官は実世界のことを説明するために、実際に起ったこととして真剣に語っていたと思うからです。

思うに小説は紙の発明と密接な関係があります。筆と紙で、女性の手でも簡単に文字が書かれるようになって初めてフィクションという分野が生まれたのではないでしょうか。実際、紫式部の「源氏物語」は世界最古の小説ということになっていますしね。こんな仮説はきっと私以外の誰かが考えているかもしれませんが、ちょっと思いついたので、書いてみました。

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