私がなぜ友を見捨てているか

世に「管鮑の交わり」という言葉があります。利害や貧富にとらわれない厚い友情を、中国春秋時代、斉の名宰相、管仲(かんちゅう)とその友、鮑叔牙(ほうしゅくが)のようだというわけで、李白が「君見ずや管鮑貧時の交わりを」と詩に詠んだことから生まれた成語です。

こんな私ですが、幸運にも友と呼べる人間は数多おります。が、それでも、管仲と鮑叔牙のように、若いころ商売を共にまでした友人はなかなか多くはいません。皆さんにももちろんご友人はいらっしゃるでしょうが、商売までともにしたという仲までは多くはないのではないでしょうか。

さて、私にとっての「管鮑の交わり」の友が、ある事が思うように進まず苦しんでいます。逆風の中、一人で櫓を漕いで進もうとしている。私はそのことを知っていて傍観しています。非情のように思われるかもしれませんが、今回は敢えてそういう態度を取ることに決めました。

ひとつには、先ほど逆風と書きましたが、その中でもヨットの帆なら風を受けて進めることを学んで欲しいから、というもの。つまり他者の批判や意見を容れる度量を持って欲しい。地域づくりの一環としてやっているのなら、批判は批判として、意見は意見として受け止める大きさを持たなければ。

もうひとつには、 私の商売のポリシーに反するから、というもの。プロとは一言で言って「お金をもらえる仕事をする人」のことだと思っています。今回の件はそのプロ達に無償もしくは安価で働くことを強いている面があり、それは私の商売のやり方に明らかに反します。どんなに小さな仕事でも、プロが職業としていることを無報酬でやったら、それは経営者としての自殺行為です。その判断を「つまらない利害」と言ってしまうのは自由ですが、それでは心ある人は動きません。

というような訳で、管鮑の二人とはだいぶ違うかもしれませんが、敢えて距離を置くことも友情の一つのあり方であろうと思っています。もう少し、事が極まったらもしかしたら動くかもしれませんが、もうしばらくは様子を見ていようと思います。

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