「文」にこだわる

このブログはもちろんですが、私は普段、仕事やプライベートでやりとりするメールの文面にも相当の注意を払って書いています。誤字・脱字をなくすのはもちろんのこと、文章として正しいか、読んで関心を持ってもらえるか、ということも考慮しながら推敲を重ね納得がいってはじめて、 ブログの「公開」ボタンを、メールの「送信」ボタンを押しています。お気づきのように、あまり写真やイラスト、動画の類は載せません。文字ばっかりの難しいブログだなぁとは自分でも思いますが、そうしています。

なぜそこまで「文」にこだわるかというと、とかく軽薄文化の象徴のように言われるインターネットというメディアで、どこまで人に伝えることができるかということに挑戦したいから、というのが一つ。もう一つには昔の人の文章を書くことに対する思いに敬意を払って、というのがあります。

二番目の理由は少し説明が必要でしょうね。

ちょっと想像していただきたいのですが、昔の人はどうやって文章を記していたでしょうか。そう、一通手紙を書こうと思ったら、硯箱を取り出し、丹念に墨をすり、毛筆に含ませ、書き直しができない張り詰めた空気の中で、息さえ殺しながら自分の思いを紙に認(したた)めていました。もっと昔には粘土板や石に文字通り言葉を「刻み込んで」いました。翻って現代のパソコン・携帯で文章を書くことのなんと簡単なこと。読みさえ知っていれば正しい漢字に変換してくれるし、書き直しはいくらでもできるし、真にお手軽・便利なものです。その意味で情報機器を自在に扱えることは必ずしも知性の高さを意味しない、と私は思っています。

そんな便利な現代にあっても変わらないのは、文章を考えることに費やされる時間や能力でしょう。昔の人は昔の言葉をつかって、現代なら現代語で文を考え、表現していくという行為自体は未来永劫どんなに情報機器が進化しても変わることはありません。

もしかしたら、誰でもいつでも写真が撮れ、音声で会話できる現代にあっては、「文章」というメディア自体がそもそも時代遅れなのかもしれない。けれど、だからこそ、文字によって伝えられるものを大切にしたい、とも思うのです。

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