「哲学は人生の役に立つのか」読中レビュー

今、木田元著「哲学は人生の役に立つのかという本を読んでいます。タイトルに惹かれて買ったのですが、そのことでもお分かりのように、私は「哲学ミーハー」です。デカルト、ヘーゲル、カント、ハイデガー、サルトル、などなどといった名前を聞くともうそれだけで「萌え」てしまいます。(w その哲学を理解しているかというとまた別の話で、男の子が飛行機や電車に憧れるような、そんな淡い憧憬を哲学というものに抱いていて、長い人生の間でいつかは理解できるようになりたいと思っています。

まあ自分のことはどうでもいいとして、この本の始めの方に書いてあった文が興味深かったので引用します。

 私が問題にしたいのは、技術は、人間が、あるいは人間の理性が産み出したものだから、結局は人間の理性によってコントロールできるはずだという、安易な、というより傲慢な考え方です。本来は、技術は理性などとはちがった根源をもち、理性などよりもっと古い由来をもつもので、理性などの手に負えるものではない、と考えるべきなのではないでしょうか。

著者に言わせると、人間が技術を発展させてきたのではなく、技術そのものが意思をもち、人間を人間たらしめたのだということなんですね。「利己的な遺伝子」の最後の方で出てくる「ミーム」という概念通ずるものがあります。

私は一技術者として「技術は人の役に立つためにある。」と信じていましたから、この見方は新鮮でした。人間が技術を使っているのではなく、技術の方が人間をコントロールしているなんて思いもよりませんでした。

まあ確かにそういう面もあるのかもしれない。地球を何回も破滅させることができる兵器が現に存在し、電車に乗り込んだ高校生がまず何より先に携帯を開く状況を見れば、「技術が人間を支配しているのだ」という主張も頷けないではありません。

でも、それでも私は理性を信じたい。技術は確かに危険な、マイナスの面も持ち合わせていますが、結局は人間が人間のために発展させたものなのだから、理性でコントロールできないはずはない、と信じる、というより願っています。楽観的すぎるでしょうか。

例えば、コンピュータプログラムには「バグ」と呼ばれる欠陥が、必ずといっていいほどあります。 もちろんテストはするのですが、それでも完全に除くことは難しいものです。自分の書いたプログラムのバグを潰すのは根気のいる作業なのですが、「自分で作ったものなのだから自分で解決できないはずがない」と思ってやっています。パソコンのトラブル対応にしても、「人間が作ったものなのだから人間に直せないはずはない」と思って、というよりほとんど信じてやっています(程度にもよりますが)。

自分でも大変不思議なことに(苦笑)、今までのところ解決できなかった問題はないのでこんな会社をやっているわけです。世間的には「技術者」なんて偉そうな肩書きを名乗ってますが、実際はそんなものです。いくら先進の、「すごい」技術でも、その先端のところでは変わらないのではないでしょうか。逆に言えば、けっこう技術って人間臭いのです。

だから、著者の主張に賛成できないことはないものの、もう少し技術というものに安心してつきあって見てもいいのではないかと思っています。

他にもこの本に書かれていることは面白いので、一読の価値あり、です。

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