理系の衆生は度しがたし

こういう仕事をしているせいか、ほぼ断定的に「学校は理系だったんですよね」とよく言われます。とんでもない!私は高校のころ数学の素養に恵まれず、情報工学系の学部への進学を泣く泣くあきらめ、ガチ文系の外国語学部に進学したという過去を持っています。数学は私にとって片思いの恋人のようなものでした。いくら勉強しても成績が上がらなかったんですから。

でも、今、かえってそれでよかったのかもしれないと思うことがあります。

理系特に工学系学部出身の人たちを見ていて思うのは「図やグラフや表、写真で表せば相手に伝わる、あるいは文章よりも伝わりやすい」という大いに間違った観念を持っている、ということです。

確かに図や写真といった右脳型のデータは有用です。百聞は一見に如かず、という言葉もあります。

が、しかし。

彼らの「言葉足らず」には本当にいらいらさせられます。よしんば文章が書かれていても、よくて事実の羅列ばかりで、書いた本人の情とか人柄とか考えとかが浮かび上がって来ない。流麗なる美辞を弄する必要はありませんが、簡潔明瞭に自分の意図を表す努力が感じられないのです。

これはもちろん学生時代に書かせられる各種レポートの弊害だと思われます。そこでは客観的事実を述べ、そこから引き出される結論を淡々と記述する形の文章を強制されます。書き手の感情の入り込む余地は皆無という能面のようなレポートを書かされた結果がそれなのでしょう。

だけど、それだけじゃああんまりだ、と思うのです。読んでくれた人のことを思うならユーモアや洒落っ気のある、クスッと微苦笑を誘うような文を認められたい。特にブログや日記ではね。

ただ、中には「ほほぅ」と思わせられる文章を書く理系出身者もいて、失礼を承知で「あまり理系の方が書く文章には思えませんが」と尋ねると、たいてい趣味で本を読んでいらっしゃいます。やっぱり文章が上手くなるには下手な細工を弄するよりも、他人の書いたものを沢山読むしかないのかなぁ、と思ったりするのですがどうでしょうか。

私のブログを読んでくださっている方には申し訳ありませんが、私は自分でこの場を文章を書く、あるいは公にコメントする「練習の場」として考えています。30過ぎたいい大人が幼稚なことをやっていると思われる向きもあるかもしれませんが、そのつもりでおつきあいいただければと思います。

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