本当に大切なのは「置換機能」や「グラフ機能」じゃないんだ

今日、所さんの笑ってこらえてという番組にMOS(Microsoft Office Specialist)の世界大会に出場した慶応法学部の女性が出場していました。MOSというのはマイクロソフト公認の、ワード・エクセル検定と考えていただければいいでしょう。それらのソフトをどれだけ使いこなせるかを図る試験です。

でね、前に何かの足しになるかと思って問題集を本屋で立ち読みしたことがあるんですが、あまりのレベルの低さに正直めまいがしましたよ。SEが「MOS持ってます」って胸張るのは恥だと思ったので受験しないことにしました。

最近はそんなことも少なくなりましたが、一昔前までブラインドタッチでキーボードを打っていると「すげー」って目線で見られたものです。エクセルでグラフなど作ろうものならネ申でしたね。

ただ、その頃から思ってるんですが、本当に大切なのはキーボードをいかに早く打てるか、とか、データをグラフにまとめるか、ではなく、いかに人をうならせる文章を書けるか、グラフなんかにしなくても勘でデータを読み取れるか、じゃないかなぁ、と。

ネットにある文章をコピペして資料にするなんてのは、人間として「私は思考することを止めます」と宣言しているようなもので、一種の知的自殺だと思うんです。そりゃ見栄えはいいかもしれません。自分には到底真似できないと思うからそうするのかもしれません。でも、そこに自分がいなければ、他の誰でもないあなたがいなければ、何の意味もない。

Wikipediaによると

著作権(ちょさくけん)とは、言語、音楽、絵画、建築、図形、映画、写真、コンピュータプログラムなどの表現形式によって自らの思想・感情を創作的に表現した者に認められる、それらの創作物の利用を支配することを目的とする権利をいう。

だそうです。「自らの思想・感情を創作的に表現した」という部分にお目を止められたい。

翻って言えば、

  • 単なる事実の列挙
  • 思想・感情を表現していても、創作的と認められない場合

には著作権は発生しない、とも読めます。実際、テレビで知ったことですが、料理のレシピに著作権はないんだそうです。あの有名一流シェフが10年かかって考え出したレシピをパクって本にしても、お咎めなしってことです。

私が十年一日の如く青年の主張みたいなことを書いているのも一にかかって「どうせ書くなら著作権の発生するような文章を書きたい」と思うからです。毎回毎回これでもかってくらい「思想・感情」を表現していますし、まあそれが「創作的」かどうかは意見の分かれるところでしょうけれども、すくなくとも

今日◯◯に行った。△△に会った。一緒に飲んだ。気持ちよく酔った。明日からもがんばるぞ。

と、蓮舫議員にかかったらばっさり仕分けされそうなネット資源の無駄使いはしていないつもりです。

だいぶ脱線しちゃいましたが、要は、「文章は文字列の集合ではなく、ましてや情報という名の味も素っ気もない無味無臭のソフトウェアでもなく、書き手の魂が込められた、ある意味ではその人自身の分身のような存在」なのだということを申し上げたい。

それだけの覚悟をした上で、皆さんブログを書いていますか?メールを書いていますか?恋するあの子にラブレターを書いていますか?

著作権(ちょさくけん)とは、言語音楽絵画建築図形映画写真コンピュータプログラムなどの表現形式によって自らの思想・感情を創作的に表現した者に認められる、それらの創作物の利用を支配することを目的とする権利をいう。

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