「何を書くか」は問題ではない。「何を書かないか」が問題なんです。

ブログなんぞを書いていると「よくネタに困りませんねー」とか「毎日ネタ探してるんじゃないですか?」とかいう質問をよくされます。

まあそうして生活している面もないわけではありませんが、私にとって問題なのは表題のことです。こうしている今も書きたい、または書く価値はあると思いながらも、諸般の事情により “Publish” のボタンを押せないでデータベースに眠っている草稿が山のようにあります。

例えば、このブログでもよく言及している通り、私は消防団に入っており、当然のことながら火事場の最前線に出ることがあります。でも、火事場の状況を写真で撮ったり、実名を挙げて報道したりはしません。

なぜなら、火事の被害者は往々にして私に近いところにいる人たちだからです。彼らの心情を思えば、安易にネットに載せようという気にはなれない。

前にも書いたと思いますが「何かを表現することは誰かを傷つけることである」という自覚の元に書いているつもりです。

例えば、よく育児日記というか、我が子の成長を日記ないしブログに載せている人がいます。一見罪もない行為に思えますが実はそうではない。現に私の妹は結婚してから6年間子宝に恵まれませんでしたが、当時の彼女がそれらの育児日記を見てどう思ったかに思いを馳せないでいられるほど、私は愚かではありません。

「そんなこと言ってたら何も書けないじゃないか」って?そうなんです。それが、それこそがすなわち、このブログの更新頻度が低い理由でもあります。書けば面白いこと、賛否はともかく評判を呼びそうなネタはいっぱいあります。でも、書かれた人たちのことを思うと、そうそう迂闊には載せられない。せいぜい、私が責任を負える範囲のことを俎上に載せていないつもりです。匿名で書ける2ちゃんならまだしも、ここに書くことは少なからず私の社会生活に影響を与えずには済まないことを私は知っているからです。

問題なのは、そうした自覚も無しに公に発言している人があまりにも多い、ということです。誰があなたの野球評論やオリンピック評論を聞きたいと思うか?誰があなたの息子がすくすく成長していることに関心を持つか?というようなことを考えられたい。文章なんてひねりだそうと思えば、漢字すら知らなくても楽々と書ける時代にあって、「この情報・感情・思想・体験は書く価値があるか」ということを考えてからキーボードに向かってもそう悪い考えではないと思います。

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