Category Archives: 経営道

帰ってきました

5月から5ヶ月ほど川崎に出稼ぎに出ていましたが、この度、鴨川に帰ってくることになりました。いやーやっぱり都会暮しは私には合わないみたいです。

で、さっそくいろいろ画策し、実行していたりします。鴨川のロングテール化もちゃくちゃくと進行中。どうなることか?乞御期待といったところです。

ご挨拶も兼ねて営業に回っていますが、やっぱり地元はいいですねぇ。心が和みます。私の体調にはこのくらいの環境がいいのかもしれません。

G/W明けから川崎へ

先日も書きましたが、なかなかこちらでできる仕事が見つからず、このG/W明けから川崎の会社に勤めることになりました。「故郷(ふるさと)は遠きにありて想うもの」という境遇になりそうです。まあ遠いといってもアクアラインで一本ですが。

お世話になった方々にお知らせして回っています。急な話なので、たいていびっくりされますが、「がんばって」と応援の声もいただき、ありがたく思っております。

弊社は一応存続しますが、この先続けるかどうかはわかりません。様子を見てから判断しようと思います。

ペーパーワークな1日

当然ながら情報管理は電子機器で行っている弊社ですが、書類、特に請求書は紙で作っており、そういう紙での書類作成・発行を「ペーパーワーク」と呼んでいます。

今日は請求書を5通、見積書を3通紙で(FAX含む)発行しました。手書き文字が不得手な私にとっては、そういう意味で PC & プリンタは必需品です。というか、なかったら生きていけません。ビジネスは情報が確実に相手に伝わることが命ですから、やはり情報機器の貢献度というのは大きいと思います。

まだ決定ではありませんが

近いうちに、週日(月〜金)を首都近郊で過ごすことになりそうです。第一候補地は今のところ川崎。川崎なら何かあってもアクアラインですぐ帰ってこれますから安心かな、と。

ただ、今までのようにちょいちょいっと鴨川市内にうかがうというわけにはいかなくなるでしょう。青年団、会議所、消防などなど、こっちのつきあいをどうしていくかも考え中です。

よく、「どこでもできる仕事だからいいよねー」と言われますが、実状はそうでもありません。持ち帰りできる案件は非常に限られている、というのがずっと仕事を探してきての実感です。昨今騒がれている情報漏洩にへの懸念が田舎での仕事を難しくしています。

何はともあれ、今さらの新生活に不安半分、期待半分といったところです。

今日はお休み&帰納と演繹について

今日は一日仕事をしないことにしました。といってもこうしてパソコンには向っているし、買ってきた本も仕事に関係ないこともないので、完全にオフってわけではないんですけどね。私に取っての休日とは「積極的に生産的なことは行わない日」という程度の意味です。


新書『99.9%は仮説』を読みました。自称「科学オタク」の私に取っては知識としてはあまり得るものはありませんでしたが、ミリカンが自説に否定的な実験結果を無視したというのは初めて知りました。科学も結構バクチなんだなぁ。本としては全体に相対主義的で、思想的には相容れないものを感じたりもしました。まあタイトルから考えて当然か。


この本でも触れられていますが「帰納と演繹」については思うところがあるので少し。

今、私と同年代くらいの人達の間では「マーケティング」という言葉が絶対と言っていいくらい支持されています。まあ支持されているというか、ビジネスの話は「マーケティング」という言葉を知っていることが前提になっています。で、この「マーケティング」なる言葉の意味するところは、というと「市場調査」。つまり、何か新しい企画、商品を開発するにあたっては、消費者全体の動向を調べてからにしなさい、というわけです。データから「この商品は売れるに違いない、いや売れないだろう」という判断を下すわけですから、非常に帰納的な手法です。

がしかし、私は常々この「マーケティング」という言葉を胡散臭いと思って、「嘘には3つの種類がある。 嘘、真っ赤な嘘、そして統計である。」と言った政治家が誰だったかは忘れましたが、統計なんてイワシの頭ほども当てにできるものじゃありません。売れるか売れないか、流行るか流行らないかくらい直感的に判らなくて何が経営か、何が商品開発かと言いたい。本当のイノベーションとはそれ単体で価値があるもので、単に大衆に支持されたから売れた、という程度のものではないはずです。

私が地方を好きな理由のひとつはここにもあって、要は田舎の経済はとても演繹的に動いているんです。ある店が流行る理由は、その店の経営者一人に依るところが大きく、決して大衆好みのメニューを出しているからではないんですね。座敷がすすけているとかオヤジが無愛想だとかなんていうのは「マーケティング」の観点からすればマイナスポイントでしかないんでしょうが、田舎の価値観からすれば、そんなことはどうでもいいんです。演繹的に、試行錯誤の末に開発された商品にこそ価値があったり、その店のオリジナリティとかキャラクタリティがあって、とても分りやすい。

ただ、ホテルや旅館など宿泊施設の経営が難しいだろうなと思うのは、そういう価値観ばかりを押しつけにはできないという点です。アメニティが充実しているか、部屋は清潔か、風呂は自由に入れるか、などなど、都会の価値観、言い変えればチェックボックスのオン、オフでなされる評価もあるわけです。私が思うところの宿の良さってそんなものじゃないんですが、現実にネット上ではそういう評価がされています。何よりもきっとここが宿泊施設経営者のネットに対する不満な点だと思います。

「帰納と演繹」からはちょっとズレたかもしれませんが、要するに言いたいことは帰納、マーケティングが全てではない、ということです。同様に民主主義についても言いたいことがあるのですが、それは別の機会に。

人月計算がプログラマを腐らせる

この業界の用語で「人月」あるいは「人日」という単位があります。システム構築などの見積りをするとき、「3人月で120万円」と言ったりする。これはどういうことかというと「3人のプログラマが協力しあって1ヶ月かかって作るくらいの規模」ということです。

でも、これってよく考えてみれば変でしょう?同じものを1人の腕の立つプログラマなら半月で作ってしまうかもしれない。そうしたら、値段は6分の1でいいということになってしまいます。普通の人が1ヶ月かかって作るものを半月で作る人のほうが当然能力が高いはずなのに、値段は下ってしまうわけです。これではプログラマは腐って当たり前です。

プログラミングというのは言うまでもなく高度に創造的な作業です。センス・知識・確実性が求められ、何人がかりで何日と見積れるような作業ではありません。本来なら、お客様のご要望を聞き、締切りまでの期間を考慮し、「このシステムはざっくり○○万円です」と勇気を持って言えば済む話なんですよね。

とはいいつつも、弊社で見積りを出すときは人月・人日という単位をさりげなく使います(笑)。ひとつには見積りに説得力が生まれるからで、もうひとつの理由は、開発期間を長く取れる可能性があるからです。どうしても短納期で仕上げなければならない仕事を除き、「うーん、これは2人月くらいになりますねぇ」などと、ぼそっとつぶやくと、たいていお客様は納得してくれます。作業する側にしてみれば、1ヶ月かけてやる仕事を2ヶ月取れた方が精神的にも大変楽に進められるわけです。人月・人日は見積りを出すときの特別な言葉と割りきって、腹の中では「このお客様にとっての価値」を見積っています。当然、見積りを出す相手によって値段も違ってくることになりますが、それでいいのです。

「競馬を成り立たせているのは意見の相違である」という言葉がありますが、人によって価値観なんて様々なのです。たかが炭素の立体結晶に数億円の値段がついているではないですか。たまたま生れた国が違うだけで、同じ労働をしても払われる賃金が数倍も違うではないですか。不均衡は常にあり、それが価値と呼ばれています。良いか悪いかはさておき、それが世の中というものと割りきらないと、やっていけません

風邪、ホームページからの仕事以来などなど

風邪引いちゃってます。症状は大したことはないのですが、鼻水がズルズル。煙草も不味いです。でも、納期に追われているので、休めません。辛いけどがんばってます。

弊社Webサイトをご覧になった上での提携依頼が今日ありました。自分では大したことないと思ってますが、人に見せると結構評判いいんですよね、うちのサイト。リキ入れて作ったかいがあったと思ってます。

23, 24日は都内に居ます。

弊社はご存じの通り経理からプログラミングまで1人でやらなければならない世界最小の会社ですが、他社にはないアドバンテージを一つ挙げるとすれば、意思決定を行うための会議が不要、という点です。何でもやらなきゃいけないけど、何でも決めることができます。どこからお仕事を頂くか、今日の就労時間をいつからいつまでにするか、全てにおいて自由裁量で決定できます。

と言うと私本人の独断性が強いというか、いかにも我が強い印象を持たれるかもしれませんが、そんなことはありません。(笑) ただ、やはり商売でやっている以上、譲れないところはありますから交渉にはそれなりの覚悟を決めて臨むことにしています。

というわけで、23日と24日は都内の複数の企業に提携の面談をしに行きます。これもほとんど個人でやっているからできることで、普通の企業であれば難しいだろうな、と思います。世界最小だから、どんなニッチに収まることもできる。この強みは最大限に生かしていきたいと思っています。

頼まれ仕事とやりたい仕事

本当にありがたいことですが、最近、「こういうの作って」と依頼を受けて取りかかる仕事が多く、自分でやってみたい仕事、これ結構イケるんじゃないの?と自分で思ってやる仕事というのをこなせていません。労力に対する利益としては前者の方がいいので優先せざるを得ないというのが実状です。

本来「仕事」というものは前者の形が圧倒的に多いんでしょうけど、それだけではダメだとも思っていて、常に新しいサービス・商品を考えるように心がけています。元来が実験的というか常に進化し続ける分野なので、そのくらいでちょうどいいんじゃないかな、と。

可与立。未可与権。

論語の言葉で「与(とも)に立つべし。未だ与(とも)に権(はか)るべからず。」と読みます。意味は「共に立つことはできても、共に臨機応変、自由に問題を処理することはできない。」だそうです。

至言ですね。古代の人というのはつくづく人間について深く考察していた、言い替えれば哲学していた、と思います。もっと前にこの言葉を知っていたなら、自分の人生ももっと違ったものになっていたかもしれません。

経験から言っても、友人や知り合いと事を始めることはできます。が、その後も同じ立場で続けて行くということはなかなか難しい。ましてや、共同で経営していくなどということはそもそも無理と考えた方がいいでしょう。

今までいろいろな組織を見てきましたが、うまくいっている組織というのは、その長がやはり果断な決断を行なっています。その決断の良否に関わらず、です。

ご存じの通り、弊社は社長一人の世界最小の会社です。蟷螂の斧、ゴマメの歯ぎしりと笑われる規模でしかありませんが、その毎日はやはり決断の連続で、今日もある価格交渉に臨んできました。このご時世に値上げの交渉だったのですから、もとより批判は覚悟の上。話も通すべき人には通さなくてはなりません。でも、そうしない限り「負け」なのは明らかだったのでやる他はなかった、というのが実情です。結果どうなるかはわかりませんが、やはりやって良かったと思っています。

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