特攻に思いを馳せて木遣り節 マドモワゼルも驚きにけり

毎年のこの季節になりますと、鴨川市消防団第四支団第三分団では旅行にでかけます。団体旅行として悪名高いところでは「ノーキョーのリョコー」が有名ですが、「ショーボーのリョコー」も負けず劣らず程度が悪いかもしれません。w

さて、4日から6日の2泊3日の行程で行ってきたのは、まず鹿児島は知覧。先の大戦で「特攻」「Kamikaze」と称された特別攻撃隊が敵艦隊目がけて離陸していった、あの知覧基地です。「知覧特攻平和館」が建てられており、戦場に散っていった1030柱のご英霊の遺影はもちろん、作戦に使われた航空機、銃後に宛てられた、あるいは銃後から届いた手紙の数々が展示されています。「館内撮影禁止」でしたので、写真をご披露できないのが残念です。

ご遺影を一枚一枚拝見して驚いたのは、一人も、本当に一人たりとも、怯懦・不安・狂気・混乱…などの感情に駆られている表情がなかったこと。中には愉快を楽しむかのように、笑みさえ浮かべられている方もいらっしゃいました。もし「明鏡止水」を表情に表せるものだとしたら、ああいったものになるのでしょう。彼らはだいたい二十歳前後の、まさに「弱冠」の若者たちだったのですが、私などが二十歳当時、あるいは今に至りこれからの人生であのような表情を浮かべて死地に赴くことができるか、甚だ不明と言わざるをえません。

ところで、特攻というと我が国の若者ばかりが散っていったイメージがありますが、実際には朝鮮半島の若者も加わっていたことは意外と知られていません。実際私もそのことは知らなかったのですが、平和会館にあった石碑で「アリランの・・・」で始まっているのが視界の端に止まり、おや?と思って立ち止まって見ると、

アリランの 歌声とほく 母の国に
念ひ残して 散りし花花

との歌が刻まれていました。考えて見れば、さもありなん、ですね。是非は置くとして、当時朝鮮半島は日本の一部だったのですから、当地出身の若者だって特攻に加わることがあってもおかしくはありません。そう考えると「御国のため」と散っていけた者はまだ良い方で、「母の国に念ひ残して」死ななければならなかった人たちの心中は察するに余りあるものがあります。

さて、そのような方たちが文字通り命を懸けて守ってくれた日本に後から生まれた者たちができることがあるとすれば、感謝の念を奉じつつ、平和で幸せな世を存分に堪能することでしょう。というわけで、鹿児島からバスと電車を乗り継いで一路博多へ。

自称「ことばフェチ」の私にとって、方言やなまりは気候・食べ物よりも土地柄を感じられるものに映ります。特に若い女性が土地の言葉で話しているのを耳にすると、ゾクッとくるのは私だけではないはず。博多も例外ではなく、街を歩けば「知っとっとー?」「・・・ば遠かけん」「・・・じゃろうもん」などなど、耳に飛び込んできます。やー、博多ばほんまよかとねー! 1日目の夜、みんなで飲んだ席でも、男の房州弁と女性の博多弁が飛び交い、大変楽しい思いをしました。

まあ博多の中洲に行って夜何もしなかったわけがなく、連合国出身のマドモワゼル・ミ○ェルを招待し、国際交流致しました。ただ、佳境に入ろうかというところで天津の木遣りが廊下から聞こえ始め、何事かと思っていたらドアをドンドン叩かれ始めました。件の○シェルはバスルームに逃げこんでしまうし、私はまあだいたい状況を察していたのですが、ドアを開けてみると、案の定、同行のF川さんがしたたか酔いつぶれ、神輿になっていました。私はなだめなければならない相手がいたので、ドアの外には出なかったのですが、S君はキーを持たず担ぎ出しに参加してしまったそうで、誰ととは言いませんが二人でドアの外でホテルマンを待つハメになったらしいです。Y輔君、お疲れ様。

二日目以降も思わぬところでくさやのニオイを嗅ぐことになったり、いろいろありましたが、大変楽しい旅行でした。アデュー!

はらいたまえ。 おお、かみよ! なんまいだー?

このブログをお読みの皆さんはご存じかと思いますが、「宗教」および「宗教らしきもの」に対して、今までは少なからずアンチの立場をとっておりました。主な理由は二つあり、一つはアイザック・アシモフやリチャード・ドーキンスといった筋金入りの無神論者に共感を感じていたからで、もう一つは、 ( 身 の 危 険 を 感 じ る の で 割 愛 w )だからです。

がしかし、最近そういった見方を変えなければならないかもしれないと感じることが度々あります。

名前は伏せさせていただきますが、最近知り合った、あるお坊さん(私より年下)は、皆で集まったとき、脱ぎ散らかされた靴を一足ずつ揃え、解散になったあともお店の人に任せればいいものを自分から皿やコップをまとめるなど、大変謙虚で辞が低く、また別のあるお坊さんは、私から見ても相当なカブキモノで、いろいろな武勇伝を耳にするにつけ非常に興味をそそられています。

そりゃあ世の中広いですから、彼ら以上に謙虚だったり面白かったりする人はきっといるでしょうが、実際てめぇの目ン玉で確かめないかぎり信じられないというのが人の性というものじゃございませんか? ましてや私が今まで見知っていた方々からの印象から考察す(以下自粛

さてまあそんな感じの私ではありましたが、ふとしたきっかけでそういう方たちとも知り合うことができ、見方が変わってきています。

それから、それぞれの宗教を「文化的背景」として知るのは若い頃から今でも興味がありまして、例えば、これらはもうほとんど日本語の慣用句として定着してしまった感がありますが、「目からウロコが落ちる」「額に汗して働く」といった言い回しの出典は聖書だったりしますし、あと有名なところでは、女二人に赤子を手を綱引きさせて力を抜いた方が本当の母親とした「大岡裁判」も、元は旧約聖書に登場するソロモン王のお話です。気候は温暖、食い物も旨いものばかりという房州で育った男の根性の無さを揶揄するのに、よく「アバラが一本足りねぇ」と言いますが、これも聖書で人類の始祖とされるアダムと何がしかの関係があるんじゃないかと思っています。

それらに限らず、西欧の本を読んでおりますと、ジャンルを問わず出くわすのが「メトセラのような(長命)」「ヨブのように(我慢強い)」「イスカリオテのユダ(=裏切り者)」といった表現。聖書文化になじみの薄い我々日本人は、そういうことを言われても何のことだかピンと来ません。逆もまた然りで、青い目の人に「(塩が肌にしみて)因幡の白ウサギみたいだよ」といっても通じないのと同じことです。

もちろん聖書に限らず、「オンアーボキャベーロシャノーマカボダラマニハンドマジンバラ…」で始まる光明真言はサンスクリット語という古代インドの言語で、数多の仏典はその古代語の解読に大変役立っているとか、ギリシャ神話から取られた数々の小話、あと古典落語の中にも実は「論語」や「老子」が元になっているものが結構あります。床屋の火事の話なのになぜか「厩火事」という名前になっている噺がありますが、論語のアレ、と言えば合点がいく人も多いのではないでしょうか。

そもそも、ガウタマ・シッダールタやConfucius、大工のヨセフのセガレたちが言っていたことは、読んでいて結構面白いですし、私自身なるほどと思うこともたびたびあります。彼らをして当時の偉大な哲学者・思想家だったと認めるにやぶさかではありませんが、問題なのは(以下自粛

とはいえ私もかくのごとく書き散らかしてはおりますけれども、なんせ日本という国から一歩も外に出たことのない身でありまして、また井の中の蛙が鳴いてやがると思し召しくだされば幸いでございます。今日のところはこの辺で。お後がよろしいようで。

物・もの Monologue

昔から、いわゆる物持ちがいい方で、なかなか使っているものを壊しませんし、壊れたとしてもなんとか直せないかと試すことにしています。先日はつかなくなった100円ライターを直して使えるようにしたら、母に呆れられました。(笑)

が、裏を返せばそれだけ物を捨てられないわけで、当然身の回りは物であふれかえるようになってきます。液晶テレビを買ったんだからブラウン管テレビなんか捨てればよさそうなものなのに、捨てるに忍びず、部屋にごろっと置いてあります。世間では「断捨離」というのが流行っているそうですが、その真逆を行ってるわけで、私らしいといえば私らしいのかもしれません。

ただ、以前と違うのはあまり衝動買いをしなくなったこと。もし欲しいと思ってもネットで価格を調べてから、という頭があるため、店頭に並べてあるモノに興味を引かれなくなりました。で、そのうちに何が欲しかったか忘れるわけです。あんまり経済活性化には貢献しておりませんね。

そんな私ですが、たまには「キヨブタ」つまり清水の舞台から飛び降りるつもりで大きな買い物をします。昨年「買ってよかった」と思えるモノを紹介したいと思います。

ホンダ スーパーカブ

なんと弊社公式の社用車です。(笑) 購入も登録も会社の名義で買いました。今までは自家用車兼仕事にも使っていたトヨタBbがありましたが、弊社の仕事柄、そう大きな荷物を運ぶことはあまりなく、むしろ身一つと工具箱、あっても検証用のノートPCあれば出先でたいていの場合間に合ってしまいます。

二酸化炭素削減が叫ばれる昨今、燃費のいい乗り物は懐だけでなく地球にも優しいはず。ならば、日本が誇る名バイク、カブに乗るのが筋でしょう。オシャレなスクーターじゃなくてカブってところがダサカッコイイと自分では思ってますがどうでしょうか。

実はこれを買うまで自動二輪の類は乗ったことがありませんで、案の定カーブを曲がり損ねてコケてしまい、それからしばらく乗っていませんでした。怖くなったわけではなく、教習所でペーパーライダー講習みたいなのを受けてからにしようと思っていたのです。が、なかなか時間が取れず、結局我流で再度乗り始めました。何が危険かは身をもって体験してるわけで、前よりはパニくらなくなりましたね。なんでもそうですが、一度は痛い目に遭うと慎重になれるものです。

冬になってからはさすがに寒いので、乗り出す回数も減りましたが、車とはちがって天井がないというのは、走っててすごく気持ちいいです。秋晴れの空の下、田んぼのあぜ道を走っていると、なんとも言えない解放感があります。

おまけに驚異的な燃費のよさ!車メインに乗っていたころは大体月に8,000円くらいかかっていましたが、カブだとたぶんその10~5分の1で済んでしまいます。これは素晴らしい。

でも冬になってからは、あんまり乗ってないなぁ。陽気のいい日に乗り回したいと思います。

Nexus One

去年の8月、国内初のAndroidケータイHT-03Aを発売日の朝に買うことを決心し、その日のうちにドコモショップで手に入れてから、もうこれでもかというくらいいじくり回し、使ってきましたが、やはり性能に限界を感じ、Google発のNexus Oneを個人輸入しました。ebay.comで中古の良品が出ていたので、落札し、転送屋さんに依頼して送ってもらいました。

ああ、言っておきますが、これを買ったのはあくまで「観賞用」です。なぜなら、技適(国内法に準じた製品の証)を通っていないため、SIMカードを差して電源を入れるだけで電波法違反になります。

実際使った夢も見ているのですが、動きはサックサクですし、非常に使いやすいです。ROMもFroyo(Android 2.2)ですので最新の機能が試せます。惜しいのはFOMAプラスエリアで使われている800MHz帯に対応していないため、普通のFOMA携帯と比べると電波の受けがよろしくない。実際、家の中では入るか入らないか非常に微妙です。

とはいえ、各種Googleサービスには当然対応していますし、Twitter, Skype, ブログ書き, TODO管理, メール, Webブラウズ(Flash対応)などなど、寝転がってこれをいじっていると、ほとんどPCを開けなくても済んでしまいます。いやはやすごい。

以上はあくまで私がNexus Oneを鑑賞した後にみた夢の話です。本当に使えたら便利だろうなぁ。(笑)

Core i7 17インチノート

長年、といっても3年くらい使っていた DELL Vostro 1500 に不満はなかったのですが、なんとなくGPGPUというのをやりたくなり、液晶も大きくて解像度が高い(特に縦に)のが欲しくなり、ならスペック盛れるだけ盛ってしまえということで、ドスパラのBTOノートを買ってしまいました。まあこだわればもっといいやつはあるんですが、予算もあることなので・・・。

買う前からLinuxをメインOSとして使うことを想定していたのですが、意外だったのは、intel系64bit版のUbuntuはAMDのCPUを想定して作られていること。ia64アーキテクチャなんて公式にサポートされててもよさそうなものですが、そうじゃないんです。気合入れてi7にしたのに、ちょっと拍子抜け。まあ使えてるからいいんですけど。

さすがというべきか、このサイズになるとHDDベイが2つもあり、一つには標準搭載の500GB HDD、空だったもう一つには以前UMPC用に買っておいた32GBのSSDを載せました。システムファイルはSSDに、データはHDDにというとても賢い構成にすることができ、大変満足しています。

ただ、キータッチが若干浅く、キーボードにちょっとこだわる私としては若干不満が残るところです。テンキーなんかいらないから、PageUp / PageDn ももう少し近くにあるといいんだけどなぁ。あ、もちろん、CapsLock と Ctrl の位置は入れ替えてます。

17インチのTFT液晶は期待通り広々と使え、視認性も抜群です。だいたい左側にTODOリスト、右側にSkype、真ん中がメインの作業エリアという感じで使っています。

あと、これだけのマシンリソースがあると、例えばVirtualBoxで複数のOSを仮想起動していてもほとんど気になりません。各種動作確認や開発をする関係で、どうしてもWindowsやMac OS Xの環境は必要なのですが、Webアプリの動作確認するくらいだったらほとんど仮想環境で事足りてしまいますね。OSまるごとアプリのように使えるわけですから、便利な時代になったものです。

数百円〜数千円くらいの細かい買い物はヤフオクやアマゾンでチョコチョコしておりますが、以上3点が値段的にも満足度でも大きめな買い物でした。

あけましておめでとうございます!

今年も残すところ353日となってしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

というお決まりのボケはさておき、「今年から年賀状は完全電子化します」とTwitterで宣言したにも関わらず、実はそれさえもしておらず、相変わらずルーズな私でございます。

で、その代わりというわけではありませんが、せめてブログで新年のご挨拶をしなければと書いているわけでございます。誠に相すみません。

昨年後半、頻々と体調を崩し、皆様にはご心配をおかけしました。連絡がつかない、ブログも更新されていない、ということでお気がかりの方も多かったでしょうが、これを書いている現在はまあまあ元気にやっております。

ブログを更新していなかったのは、ちょっと言い訳がありまして、去年2月から本格的に使い始めたTwitterにハマっており、こちらで頭の中にあることを始終発信しているため、なかなかブログの記事にするようなまとまった考えができなかった、ということがあります。

私の場合、どちらかというと日々のできごとを晒すのではなく、頭の中にあるテーマというか考えに結論が出たときにコメントする場としてブログを捉えていまして、だから「最近社長のブログ、更新されてないし、難しいおー」と青年の新年会でH人さんに言われちゃうんでしょうが、まあそういうわけなんです。

それでも最近のできごとを振り返ってみると、やはり年末年始といえば飲む機会が多く、親父と違って飲めるクチを持っている私としては、楽しい季節です。もっともついつい飲み過ぎてしまい、親に「お前、二日酔いはまだいいけど三日酔いはするんじゃないよ」と説教されているような次第ではありますが。(汗

あと、できごとというわけではありませんが、最近いろいろな場面で「後輩」ができてくることを感じることが多くなりました。JC然り、消防然り。自分で言うのもナンですが、まあ先輩としてこれほどアテにならないやつもいないだろうと思いますし、それに引き換え、ちょっと年下くらいの人たちのしっかりしていることといったら、我ながら悲しいくらいです。論語には「後生畏る可し(こうせいおそるべし)」とありますが、まさにそんな感じです。

それから、お恥ずかしいことに、最近やっと親と対等にものを言える、あるいは面と向かって批判できるようになってきましたね。収入が安定してきたというのもありますが、時代の方が「ほらみろ、俺が言ったとおりになってきたじゃないか」と言える状況になってきたというのもあります。例えば、ご存じの方もあるかもしれませんが、うちの店(高梨釣具店)では、一昨年まで日◯スポーツという新聞に情報を載せていました。が、こっちに帰って来た当初(9年くらい前)から「これからはネットの時代になるから、新聞なんかやめちまった方がいいよ」と強弁したにも関わらず、親父は「アホ言うな。おめえは(オタクだから)そういうかもしんねえけんが、まだまだ新聞の方が見る人は多いさ」と取り合いませんでした。ところが今では動画ブログを見てくる貸ボートのお客は引きも切らない状態。親父だけに稼がせているのも母に悪いので、今はどうやってツイッターをやらせることができるか思案中です。「お前がやってやれよ」という方もあるかもしれませんが、それだとあんまり面白くない。60過ぎた釣具屋のばあさんがつぶやくとなったら、面白がってフォローする人が出てくると思うんですよね。それに、ITリテラシーの無さでは人後に落ちないうちの親みたいな人に使わせることができれば、それだけ私としても市場が広がるわけで、まあそういう意味では強力なテスターに恵まれているとも言えます。w

ところで最近、タイガーマスクが各地で徳を施しているようですね。明日のジョーも出てきたみたいですし。私はまだちょっと伊達直人になるのは難しいんですが(笑)、実は仕事をする上で範としているマンガのキャラクターが二人いたりします。その二人とは「ゴルゴ13」と「ブラックジャック」。前者はテロリスト、後者はモグリの医者と呼ばれることもありますが、超一流の腕前を持ち、その代わり報酬は法外とも言える金額を要求します。私もコンピュータについて学校で専門に教わったわけではありませんからその点ではライセンスは無いようなものですし、彼らに比べれば報酬なんて微々たるものですが、それでも普通の人の給料を時間で割った額よりは多いと思います。ただ肝心の腕前の方はどうかというと、ちょっと一流とは呼べないだろうなぁ。(笑) 田舎に住んでいるとパソコンの設定・トラブル解決・修理でも、サーバの保守でも、ホームページの制作でも、システム開発でも、なんでもやらなければならず、なかなか分野を絞ることができないのが実情です。

それから、今年の3月でおかげさまで弊社も6年目に入るのですが、「企業理念」についてお詫びしなければならないことが一つあります。「感銘を受け」たとまで言ってくださった当時青年長のK塚さんには申し訳なくも、ご存じの通り、弊社では5年たってもまだ「雇用機会創出」を果たしておりません。正直なところ、最近やっと自分を養うくらいの経営状態になってきたというのが実情です。ただし、弊社の場合、ある意味「機械に仕事をさせるのが仕事」の面がありまして、そういう意味では、人を雇わなくても機械(コンピュータ)にやらせていることで、普通の企業よりも人件は少なくて済むということもあります。「先ず魁より始めよ」の言葉通り、「IT企業こそITの恩恵を最も有効に利用しなければならない」と思いますし、実際そうすることで、企業ユーザへの業務改善のアドバイスなどもできたりもしています。ですので、当面、人を雇う必要に迫られてはいません。起業当時に掲げた理念に反すると見なされても仕方ないことだとは思いますが、ご理解いただければ。

例によってまた長々と書いてしまいました。最後までお読みいただきありがとうございます。本年が皆様および私にとって最高の一年になるように、祈るのではなく、一緒にがんばりましょう!

房日新聞 12月4日号社説「展望台『無縁社会』」への公開コメント

普段、私は情報収集は専らネットで行っており、あまり新聞というものを読みません。が、房日新聞だけは別で、会社の経費で購読しています。 4日の社説「展望台『無縁社会』」の後半に興味深いご意見を拝見したので、僭越ながらコメントを寄せてみたいと思います。(記事内容については、右画像をクリックしてご参照ください)

この記事の筆者の方はおそらくはご高齢で、ネットをお使いになっていたとしても、メールやWeb閲覧くらいではないかと拝察致します。

まず、「ネットの前提は、隣にいる人も地球の裏側にいる人も同等」とありますが、必ずしもそうではないことをご指摘させていただきます。私は最近Twitterというサービスを楽しく利用しておりますが、例えば鴨川市内在住の方、あるいは鴨川ご出身の方といった、地域を軸にした縁を得ることも多く、地元のローカルな話題で盛り上がることもしばしばあります。またmixiという国内サービスでは地元のある飲食店を中心としたコミュニティが現にあり、月に一度オフ会(誕生月会)が開かれています。私自身が多忙のため、なかなか出席することはかなわないのですが、後者は当地域では稀有な(笑)存在である若者たちにとって貴重な交流の場となっております。

もちろんそれは、私どものような者にとっては「死」が喫緊の憂患事ではないからなのかもしれません。しかしながら、ただでさえ若者向けの娯楽場が少ない当地域で、ネットでの「つながり」を「分断された弧を象徴している」と断じてしまうのはいかがなものでしょうか。道を歩けば見かけるのは高齢者ばかりの当地域の若者にとってネットは貴重な出会いの場であり、もし、「人の死という超リアルな事態に対して…ネットのサイト縁は果たして何をし得る」かを問われるならば、文通や電話も同じことではないかと考える次第です。

遡りまして、「地縁」について、最近新しい知見を得ましたのでご紹介させていただきます。

私自身は、ここ、鴨川市天津地区で生まれ暮らす者として、おっしゃるような地縁を快いものと受け止めております。昔からの知り合い、友人、ご近所に囲まれて暮らし、顔を合わせれば抵抗なく挨拶を交わすことのできるこの街に無類の愛着を持つ者です。

ですが、都内の連携企業社員の方とネットで雑談を交わした折、こうした関係を必ずしも快く思わない、むしろ耐え切れないほど鬱陶しく感じる人もいることを教えられました。別の機会では、Twitter上で「隣人に家の中を覗かれるようにして暮らすなんて自分にはできない」という旨の発言も散見したこともあります。

正直なところ、そうした考えや発言が実際にあることをやや淋しく感ぜざるをえませんが、そうした人もいることも時代の変化として受け止めなければならないとも考えております。幸い、私がおつきあいさせていただいている鴨川市への移住者は、むしろそうした縁を求めて越していらっしゃる方が多く、安心を覚えてはいるのですが。

私自身も初めての経験ですので、こうしたコメントをブログにてお寄せすることが正しいのか、文意から察すればあるいは避けるべきであったかもしれませんが、他に適当な方法を思いつきませんでしたので、非礼の際は何卒ご容赦ください。

馬鹿とは言わないが、知性の欠落した中国批判について

WBCでは日本を熱く応援し、自国の国旗には敬意を表し、抵抗を感じることなく国歌を歌う、標準的な愛国者として一言いっとく。今までいろいろな中国批判を見聞きしてきましたが、この「“中国”という国」という記事は、説得力・文章の巧拙・問題に対する態度などの視点から見て、まあ日本語として文法的には正しい文章にはなっているレベルとは言えますが、それ以上のものでは何一つといってないでしょう。端的に言えば「視点が浅薄かつ高所的過ぎ、知性のかけらも感じられない」ということになるでしょうか。むやみに断定的なのも気になります。

例えば、

今回の中国の姿勢を見ると、まさに中華思想そのものである。

中国という国は全く信用がおけない。
それもそのはず。
中国四千年の歴史というのは誤りであり、中国大陸という土地において四千年以上にわたって、民族や王朝同士が互いを殺戮し合い、征服し合ってきたのだから、日本人の常識は通用しないのだろう。

とありますが、ではそうではない国が世界にどれだけあるでしょうか?ヨーロッパにおいても、史実として残っているだけでも少なくとも2000年以上にわたって「民族や王朝同士が互いを殺戮し合い、征服し合ってきた」歴史がありますが、ヨーロッパ諸国が「全く信用がおけない」ことになるのかな?南北両アメリカ大陸なんかは、コーカソイドによって固有民族が迫い立てられ、強制労働させられ、搾取されてきたんだぜ?まあそれはおいても、「中国=中華思想の国」ってのは、いくらなんでもステレオタイプが過ぎるでしょう。2才になるうちの甥っ子でも、もうちょっと知恵のあることを言えそうだ。w 察するに神道系の座学会かなんかで聞きかじった主張なんでしょうが、もう少し精査した方がいいと思うよ。

保守系論者の間ではしばしば「中国四千年の歴史というのは誤り」という主張そして同じくらいの頻度で「我が国皇紀2600年の正統性(?)」が見受けられますが、ちょっとこれについて言及しておきます。例えば中国最後の王朝「清」は、満州族の愛新覚羅氏が打ち立てた国です。つまり少数民族である満州族がそれまでの漢人王朝明に取って代って、漢民族が大多数を占める中国地域の支配を始めました。

ただし、中国の歴史ではよくあることですが、支配者であるはずの清王族の方が次第に「漢化」されていき、王朝末期には満州語を話せる王族はほとんどいなかったと言われています。確かに男子の辮髪強制など文化の面で全く専制的でなかったとは言えませんが、その程度の強制であれば、同時代の我が国においても「生類憐みの令」「質素倹約令」等、類するものはありました。そして、驚くべきは、中国の史書は新王朝によって前王朝のものが書かれていたということです。つまり明朝の歴史について書いたのは、取って代った清朝の官僚たちでした。

というようなわけで、「中国◯千年の歴史」という言い方もあながち間違ってはいないと、私は考えているのですがいかがでしょうか。むしろ、2,600年(?)もの間、天皇が男子一系で存続してきた我が国の場合の方が、よほど稀有な例で、世界に類を見ません。「日本人の常識」が通用しないのは中国だけでなく、世界中について言えるでしょう。

中国的共産主義によって国家は成り立っているが、経済面では唯物主義、超資本主義である。
中国人の多くの考え方も物質至上主義的なところが大きい。

また随分と物々しくのたまったもんですな。(苦笑) その割に理由や根拠を一つも挙げず、この言い切り方、断定口調。主観に囚われきっていることに気づいておられるだろうか?そうまで言いきれるあなたは、あの国の何を知っているというのか。

しかし、私が5年以上前から指摘しているように、中国は必ず大きな壁にぶち当たる。
物質主義は必ずや崩壊するときが来る。
そのとき、かたちのないところに新たな価値を見出せなければ、おそらく中国という国家は崩壊するであろう。
否、すでに崩壊は始まっているかもしれない。

で、つまるところこの5年以上の期間に渡ってその指摘とやらは当たらなかったわけだね?w まあ期限を設けなければどんな予言だってできるわな。「太陽はいずれ必ずや爆発する!(数十億年後にはきっと…)」

という意地の悪い指摘はさておき、私は中国人とだいたい週に一度会っているのですが、そこで受ける印象は、「マルクス・レーニン主義」「共産主義」「唯物主義」という言葉からは、かなり隔たりがあります。むしろ彼らの宗教観は、迷信深いというか、なんでもありがたがっていた江戸時代の庶民のそれに近いものがあるように思われます。彼らが首に下げていた「大仏」は、その表情が日本の「大黒天」に驚くほど似ていました。また、横浜の中華街に連れていった生徒の中には「天帝」に敬虔な祈りを捧げている人もありました。

附言すると「精神vs物質」という二元論的な見方自体、ニーチェ辺りに言わせれば西洋哲学に毒されている証拠で、和を以て尊しと為す我が国の伝統文化とは相容れないように思われますが如何?

ちなみに尖閣諸島問題について。
一番の解決方法は米軍基地を作り、駐留してもらうことだろう。
自衛隊だと中国に対して刺激が強すぎる。
せっかく日米安保で守ってもらっているのならば、米軍を活用しない手はない。
ついでに日米共同で油田開発でもしてはどうだろうか。
アメリカもこの提案には乗ってくるのではないだろうか。

あのね、アメリカのよき父母たちに「あなたのお子さんに俺達のちっぽけな領島を命懸けで守ってもらいます。あ、ちなみに俺達は自国の軍隊さえ出しませんからそのつもりで♪」って言うつもりですか? 確かに俺は実利も重視するけど、さすがにそこまでセコくはなれない。「共同で油田開発」って、そういう発想こそを「唯物主義」って言うんじゃないの!?

さて、普段なら宮さま育ちの白ネギが何を言ったところで黙殺するだけですし、そもそも普段注意を払っていないのですが、今回はあまりに目に余ったのと、突っ込み所満載だったので大人げなく噛みつかせていただきました。

実はこの文章、かなり前に書き始めたのですが、「一身上の都合により」、今更ながら晒すことになってしまいました。遅延をお詫びします。

hidescan+変換名人+EyeFi⇒モバイルクラウドスキャナ

ちょっと古い話になりますが、ネットの世界では「自炊」といって書籍や書類をドキュメントスキャナで読み込み、電子化するのが流行っています。その作業を請け負ってくれる業者さんもたくさんあります。

私もドキュメントスキャナを買ったことは買ったのですが、買ってから一度も使わず、結局知り合いの方に購入額より若干安めにお譲りしました。

私の場合、

  • 書籍をまるごと電子化する必要性はあまりない。最新の情報はネットのドキュメントを見ればよいし、もしどうしても必要なら業者にアウトソースした方が手間もかからないし、安い。また、書籍の中でも取っておきたいのはほんの一部だけ。
  • ドキュメントスキャナで一度にセットできる枚数は多くて50枚。例えば300ページの書籍だと2回にわけて食わせる必要がある。機械の作業を人間がじっと待つのは不毛極まりない。
  • 本当に電子化&保存したいのは、請求書や領収書などの比較的小さめで1枚で完結する書類。

などの理由によりドキュメントスキャナは不要と判断しました。

しかし、溜まる一方の書類をなんとかしたいというニーズは依然としてあるわけで、どうしたもんかなぁと思っていました。

そんなある日、ネットを漁っていたら、hidescanというスキャナを発見。スリムな筐体を紙の上でスライドして読み取るタイプのものです。つまり、「自炊」作業で行うようなまとめ読みはできません。読み込んだ画像は microSD に保存され、PCにUSBでで接続することもできます。(接続すると外付けUSBドライブとして認識される)

hidescan@amazon.co.jp

一方、高梨釣具店の動画をYouTubeに自動でアップロードするため、EyeFi という製品を買ってありました。YouTubeだけでなく、Flickr や Evernote など、ネット上の様々なサービスに画像・動画をアップロードできることは以前から知っていました。が、肝心の貸しボート業が長期休業を余儀なくされたため、こちらも使わないままでした。

EyeFi@amazon.co.jp

であれば、hidescan に EyeFi を繋げれば、PC操作不要で、スキャンした画像を即Evernoteに上げられることになります。

が、hidescanに挿せるのは前述の通り micro SD に限られます。EyeFiは SDカードサイズなので、そのままでは繋げることはできません。

そこで探し出したのが「変換名人 SDカード→microSD逆変換」という製品。microSDをSDカードに変換するアダプタは百均でも売られているほど出回っていますが、これはその逆でSDカードをmicroSDポートに挿すためのものです。

変換名人@amazon.co.jp

これで役者は揃いました。この3品を組み合わせれば、コンパクトかつ便利なドキュメントスキャナができあがるはずです。

ここでくだくだしく設定方法を述べてもいいのですが、とても簡単なのと、私自身EyeFiをこの用途にしか使っておらず、詳しくないためソフト的な設定の解説はしません。結果から言うと、

思惑通り成功! (^_^)V

しました。完成写真を下に示します。

全体像

変換名人取り付け部分

変換名人のボディをどうやって取り付けるか悩みましたが、事務用両面テープで十分な強度で留めることができました。願わくは、フラットケーブルにもう少し長さが欲しいところ。↑の位置だとformat ポッチが隠れてしまいます。まあでも画像を消したければPCにUSB接続して消せばいいことです。

スキャンしてからEvernoteに上がってくるまで少し待つのかなぁと思っていましたが、そんなことはなく、無線LANの範囲内なら即時アップロードされるようです。

もちろん、無線LANの使える場所は限られますが、EyeFiはSDカードでもあるので、外でスキャンして帰宅後に電源を入れるだけでEvernoteに上がってきます。単3電池2本で動作しますから出先で電源に困ることもありません。電池が切れたらコンビニで買えばいいのです。

これは期待以上に便利なものができあがってしまいました。「できるはず」とは思っていたことですが、本当にできると嬉しいものです。

肝心の費用は、というと、

  • hidescan … 10,000円前後
  • 変換名人 … 1,300〜1,600円台
  • EyeFi Share (2GB) … 5,000円前後

ということで、だいたい17,000円もあればできあがります。ドキュメントスキャナはそれ自体安くても2万円はしますし、忘れないで欲しいのですが、PCに接続して操作しなければ使えません。

今思いついたのですが、ネットの向こう側でゴニョゴニョすれば、電子FAXとして使うこともできるでしょう。田舎では大変多いのですが、例えば私の親のような情報弱者にとって、ネットに情報をアップロードするのは至難の技です。そこで、

  1. A4の原稿用紙に、手書きで紙を書いてもらい、これでスキャン。
  2. 写真共有サイトを経由して原稿データを受け取る。
  3. あとはメールするなりOCRするなりお好きなように。

まあITに弱い人が無線LAN設定をどうやってするのか、という問題はありますが、ある程度こちらでプリセットして発送する、という手も取れなくはありません。

この記事が参考になったという方は、以下のリンクでAmazon.co.jpから買っていただけると、私に手数料が入ります。よろしければお願いします。3つの新ウィンドウが開きます。(ウィンドウが3つ開きます)

目玉クリップで作る汎用T字カミソリホルダー

「俺は電気カミソリなんて使わねぇぜ!」と公言してはばからない、硬派なT字カミソリファンの皆様こんにちは。

もう亡くなりましたが、私の伯父には通勤途中にブラ◯ンの取材を受け、笑顔でマイクを向けるインタビューアーに製品をクソミソにこき下ろして立ち去ったという筋金入りのT字カミソリ派がおりました。そんな伯父に影響され、私も普段は電気カミソリは使っておりません。

しかし、以前から不便に思っていたのは、替刃とホルダー(替刃を取り付ける柄)に互換性がないことです。他社製のが使えないのならまだしも、同じ会社の製品間でさえ、替刃とホルダーの互換性がない。つまり間違った替刃を買ってしまうと使えないってことです。「えーと、うちにあるのホルダーはSi◯k FXだったっけ? それとも フェ◯ー FII?」替刃を買いに行く度にこんなことで悩みたくないですよね?不便で不経済で窮屈なことが大嫌いな私はなんとかならないかと思っていたものでした。

そこで考えたのが、「(たぶん)汎用T字カミソリホルダー」です。制作費は驚きの261円!余った目玉クリップがあるならもっと安く上がります。

説明するより実物を見ていただいた方がいいでしょう。

全体像

接合部

替刃部分

柄の部分はDIY店で入手したステンレス一文字金具をペンチで曲げ、接合部のネジはアルミ3mmネジを使っています。この目玉クリップの穴は実はもう少し大かったので4mmでもよかったかもしれません。

単純極まりないですが、これで我が家で無用の長物になりつつあった10枚以上の替刃が有効利用できるようになりました。実用上も申し分なく、実際ヒゲをあたってみましたが、全く問題なく剃れました。

さらに将来新しい替刃が発売されても、気軽に試すことができます。

※余談ですが、父曰く「昔は一枚刃だったけど全部の替刃が全部のホルダーで使えた」とのことでした。まあ普通消費者のことを考えたらそうなるよなぁ。

この1ヶ月間で・・・

約2ヶ月ぶりの投稿になります。実は7月末の祭りのときに親とゴタゴタがあり、その後体調を崩したりなどちょっと大変な時期でした。幸い、差し迫った仕事はなかったのでよかったのですが。

とはいえ、ただゴロゴロしていたわけではなく、いろいろ仕事に関係する勉強をしておりました。おかげで技術的な面ではやっと世界の最新動向に追いつくことができた気がします。技術的な表現バリバリのエントリですが、ご勘弁を。

Google App Engine が使えるようになりました

GAE Logo

Ruby信者としてはPythonなんていうイケてない言語に手を出したくはなかったのですが、GAEを使いたいがために手を染めてしまいました。これで Ruby, PHP, Perl, Python の4大LL全てを一応使えることになります。まあ LLなんて機能は大概似たようなものなので、あとは自分のしたいことをWebで調べながら覚えていけばいいと思ってます。

GAEで引っかかるのはロジックの書き方よりもむしろ、NoSQL的なデータの持ち方かなぁと思います。例えばこのAPIを作るのに、最初は郵便番号・都道府県・市区町村・町名…というように小さなカラムを沢山作ってデータをアップロードしたのですが、それだと非常に時間が取られ、かつCPUタイムのリミットもすぐ上限に達してしまいます。なので、検索したいカラム(ここでは7桁の郵便番号)をキー(重複可)に、出力するJSONテキストをまるごと一つのデータカラムとして持った方が、アップロードもすんなり通りますし、ストレージ全体の使用量も少なくすみます。小さなカラムを沢山作ると各々にインデックスが作られるので、データストア領域も結構消費してしまいます。あと用語として「エンティティ」が、RDBMSで言うところの「行(またはRow)」に相当するというのは面くらいました。

最近はJRubyによるRubyコード実行も手軽にできるようになったようです。

一度慣れてしまうと、今まで個人や中小規模の企業では実現不可能だったスケーラビリティの効く実行環境を無料で始めることができ、お金がかかるとしても消費したリソースの分だけ払えばいいので、いろいろ面白いことができそうです。

Rubinius いいじゃん

Scaffold に度肝を抜かれた猿プログラマたちが大量にRailsにハマっているようですが、Rubyはいまいち性能(=速度)の面で劣っているのが実状です。Ruby自体は速くなりつつあるんですが、それにしても一度ソーススクリプトをコンパイルして、VM(YARV)上で走らせてからの話です。PHPには APCという、割合イケてる実装があって、これはバイトコードを共有メモリ上にキャッシュし、次に実行するときにはソースを読み込むのではなく、直接メモリ上のバイトコードを実行します。

Rubyでこれに近いことできないかなぁ、と思っていたら Rubinius という LLVM 上で動くRuby VM実装を見つけました。これのいいのは、実行に至るまでの各段階(Rubyインタープリタに渡すもの、構文木(S式ライク)、LLVMコード、そしてなんとアセンブリコード!)の中間コードを取り出せることで、最後のアセンブラを、できればバイナリの形で共有メモリにキャッシュすれば、かなり性能が出せるようになるのではないかと思っています。

Apacheの mpm-worker で動かせればステキなんですが、Rubinius のスレッドはMRI1.8ベースのグリーンスレッドらしく、その辺相性どうなんだろ。mpm-preforkだと24MBもあるrubinius VMはちょっとなぁ、という感じです。

OpenSkypeR(仮称)

Skypeの出始めの頃は「頭いいなぁ、こいつら」と思っていました。ダークなイメージのつきまとうファイル共有ソフト開発で培った技術をインターネット電話というクリーンなビジネスに転用していますし、P2Pなので初期インフラ投資が要らない。私が知る限りではNATの壁も難なく越えています。

ただ、難があるとすれば仕様が比較的クローズドなこと。SILKコーデックは非商用用途に限り無料かつオープンソースになりましたが、肝心のSkypeネットワークに接続する部分が非公開なんですよね。fringはその辺ハックしたんでしょうが、訴訟沙汰になっているようです。

もっとも、Skypeが世に出た当時から時代は移り、上のGAEのようにスケーラブルなインフラが比較的容易に手に入るようになってきました。となると、仕様を難解にし、開発者の人的リソースを著しく消費する複雑極まりないP2P技術(UDP Hole Punching, 分散ハッシュ, etc…)は要らなくなってきます。ハードウェアの性能が幾何級数的に向上し、性能あたりのコストもどんどん下がりつつある昨今、最もコスト視しなければならないのはソフト開発者のリソース。なら単純でオープンな仕様の方がいいですよね。

GAEのスケーラビリティとSILKコーデックの音質を生かしたオープンな仕様のオルタナティブを作れたらいいよね、という妄想のお話でした。

バイナリ or マシン語ハック

はじめて読む486 表紙最近、布団の上に寝転がると、のび太君顔負けの速さで眠りについてしまうのですが、枕元の積ん読に「はじめての486」があります。486と言ってももう知ってる人は少ないでしょうが、私が中学生くらいのときにIntelが出したCPUで、今時のPCに載ってるCPUの5~7世代くらい前のご先祖様です。PC-9801/MS-DOS全盛だった当時、このCPUが載って、かつ価格が安いPC-AT互換機(DOS/Vは出ていなかった)の仕様を雑誌で眺めては「いいなぁ、アメリカ人は…」と溜め息をついたものでした。

時代は変わって、NECでさえ何の臆面もなくDOS/Vマシン(って今言うのか?)を出すようになりましたが、処理速度は桁違いに向上し、いくつかの命令は追加されたものの、CPUの動かし方自体は実はあまり変わっていなかったりします。古い仕様を引きずっているのは、取りも直さずソフトウェアの過去互換性のためで、要は全く違ったものを作ってしまうと今までのソフトが動かなくなるから、です。

で、今問題だと私は思っているのは、いくつかの秀逸なソフトのソースコードが手に入らず、手を加えようにも非常に苦労する羽目になることです。まあ、そういうソフトのWebページの背景色は大抵黒いんですが(笑。

であればバイナリ読解しか道はありません。元々人間の作ったものですし、暗号化さえされていなければバイナリだって読めるはず!という信念に基づいて始めています。CPUの言葉を理解できるようになれば、人間が読める形にも直せるはず、なんです・・・が、まあご想像の通り、決して易しいことではありません。

私の知人に「Fortranコンパイラの吐いたバイナリを手直しして最適化してるんだ♪」とのたまう、極めつけのスゴ腕プログラマがいらっしゃるのですが、その方の足元にやっと手が届いた感じです。何事も道は長く深く続いているものです。orz

・・・というわけで、計算機の勉強をするならシリコンバレーにも秋葉原にもいる必要はないな、と感じつつある今日この頃です。MITUCBなら行ってもいいけど、うまい魚は食えないだろうしなぁ。

みんな頑張ってるんだよな・・・

どっちかというとつぶやきに近いエントリになってしまいます。

最近、いろいろあっていっぱいいっぱいだったんですが、ふと、「自分だけじゃないよな」と思い直しました。みんなそれぞれ責任持って一生懸命やっている。俺だけじゃないよな、って。

私の周りには、仕事の他にご自分の意志で「ボランティア」に取り組んでいる方が多く、私もその真似事をしているのですが、「なんでこの人(たち)はこんなに一生懸命、責任持って事に当たれるんだろう」と思わされることがしばしばあります。そこへ行くと自分のしている事は、非常に無責任で、決まりがつかず、中途半端なんですよね。それは、いろいろ手を出しすぎているからなのかもしれませんが、にも関わらず、ある程度の瑕疵や失敗は大目に見ていただいている。どこへ顔を出しても、たいがい笑顔で迎えていただいています。(裏では怒りを押し殺しているのかも。だとすると怖いですが。)

ただ、いつまでも自分がいっぱいいっぱいじゃあダメでしょうね。私の「後輩」たちは、文句のつけようがないほどしっかりしている奴ばかりで、こっちが恐縮するばかりなのですが、いつか自分(たちの年代)が嫌でもまとめて行かなければならないことを考えると、もっとしっかりしなきゃあな、とも思います。

みんなそれぞれ一生懸命頑張っている。汗かいて、歯を食いしばって、仕事も家庭もボランティアもやっている。俺だけが楽な思いをできるわけがないよな、と改めて思うのでした。

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