Posted on : 10-11-2009 | By : sino | In : 雑考
M.H.S. とは Mission Hoarse Shooting の略です。「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」の成語から。何が馬で何が将かはご想像におまかせします。
ところで、この「将を射んと・・・」と言う言葉ですが、てっきり孫子の兵法か何かに書かれているものだとばかり思っていました。ところが元々の出所を調べてみると漢詩で有名な杜甫なんですね。杜甫にしては雅風に欠ける血なまぐさいことを言っているなあと思ってもう少し調べてみると、どうも人口に膾炙している意味ともともとの文脈は違うらしいことが分かりました。
普通、この言葉は「最終的な目標を遂げるためには周囲から攻めかかるべし」という意味で使われます。分かりやすい例としては、ガールフレンドを作ろうとおもったらその友達から仲良くなれ、というのがそれですね。
でも、杜甫の五言律詩「前出塞」にはこうあります。
挽弓當挽強 弓を挽かば當に強きを挽くべし
用箭當用長 箭を用ひなば當に長きを用ふべし
射人先射馬 人を射らば先づ馬を射るべし
擒賊先擒王 賊を擒にせんとすれば先づ王を擒にすべし
殺人亦有限 人を殺すには亦限り有り
列國自有疆 國を列(た)つるには自づから疆有り
苟能製侵陵 苟くも能く侵陵を製せば
豈在多殺傷 豈に多く殺傷するに在らんや
【現代語訳】
弓を引こうとすれば強い弓を引け、矢を射ようとすれば長い矢を射よ、人を射ようとすればまず馬を射よ、敵を捕虜にしようとすればまず王を捕虜にせよ
人を殺すにも限りがある、国を立てるには国境というものがある、いやしくも敵の侵略を防げれば、多くの殺傷をするには及ばない
つまり、「相手を倒すのが目的ならば、馬を倒して戦闘能力を奪いさえすればいいではないか。いたづらに人間を殺すべきではない」というのが杜甫の言いたかったことのようです。これなら、文化人の名にふさわしい、誠に人文的とも言える言動です。
孫子も、戦をするにあたって最上の策は「戦わずして勝つ」ことだと言っています。無闇に兵を起こして戦をすれば、よしんば勝ったとしても、田地は荒れ、民は疲弊し、被征服民の恨みを買い、国力に少なからず悪い影響を与えることは免れない。であるから、圧倒的な優位を見せつけ、相手に争う気を起こさせないことが最良の策である、ということです。
喜ばしいことに、このところ宇宙開発の面で日本のロケットミッションが成功を収めつづけています。かなり質量のある宇宙ステーション補給機(HTV)の輸送も先日、無事成功しました。
片や、国内では原子力発電が営々と、当たり前のように運用されています。素人考えですが、原子力エネルギーを少しずつ調節しながら引き出す技術は、一挙に爆発させるよりも技術的には難しいことなのではないでしょうか。
見方によっては、日本は軍事転用可能な核開発技術をすでに手に入れているのかもしれません。そして、それをあくまで平和的に利用していることを世界に訴えるのは、孫子の言う所の「戦わずして勝つ」ことになり、国民の一人として大変誇らしい気分になります。
Posted on : 28-10-2009 | By : sino | In : 経営道, 雑考
前にも似たようなことを書いた気がするのですが、大事なことなので、また書かせていただきます。
起業するとき、当然ですが、IT企業としてやっていくからには自社のホームページがなければ嘘だと思いました。ただ、会社概要と社長からのご挨拶、会社の地図だけが載っているだけのものでは、あまりにもつまらない。そこで、当時流行っていたブログというものに目をつけたわけですが、果たして何を書いたらいいのか、書いたところで読んでくれる人がいるのか、甚だ心許ないものがありました。
そんなときある本(書名失念)で「ブログはあなたのファンを作るためのツールです」という旨のことが書かれていたのを読んで、「なるほど!」と思いました。この一言を知っただけでもその本を買った価値がある、と。
幸い、弊社は社長一人でやっている会社ですから、私が恥をかく覚悟さえ決めれば部下に迷惑をかけるわけでもありませんし、そもそもこの手の仕事というのは一体何をしているのか非常に分かりにくい。そこのところを取り上げていけば、面白がって読んでくれる人もいるかもしれない、と考えました。だいたいが、こんな田舎でITで食っていこうというスタンス自体ユニークなはずです。
というわけで、半ば仕事のうちと思って書き始めたわけですが、さらに意外だったのは地元で読んでくれている人が結構いたということです。それなら地元のネタを取り上げれば喜んでくれるだろうというわけで、仕事のことだけでなく青年、消防のことなども書くようになりました。
今でこそ「ビジネスブログ」「社長ブログ」が当たり前のように言われていますけれども、私が始めた頃はブログというとプライベートな日記をネットで匿名公開しているだけの、誰が書いたかわからない、他人が読んでも正直あまり面白くないものが主流でした。ランチブログなんてネット資源の無駄だと今でも思っています。
長々と前置きをしましたが(え、前置きなのかよw)、今日、NHKラジオ語学番組キャプチャツールをお使いいただいている方からお便りをいただきまして、私信を公開するのは失礼にあたるとは重々承知しながら、ここにご紹介させていただきます。
高梨 様 へ
高梨様は私が尊敬すべき方の中のお1人です。
お会いした事もございませんし、これからお会いすることも多分ないとも思いますが、貴兄のホームページを拝見してその人となりを好く伺う事が出来るからです。
なんだか引用してから自分が恥ずかしくなるくらいのお褒めの言葉ですが(笑)、ご注意いただきたいのは「ホームページを拝見してその人となりを・・・」とおっしゃっていただいていることです。そう、私がブログを書いているのは私自身および弊社のことをよく知っていただくために他なりません。その評価が肯定的なものになるか否定的なものになるかは場合や読まれた方によってもちろん異なるでしょうけれども、ひとまずは自分の意図するところは達成されているのかな、とこのお便りから判断することができました。
自分の考えていることを明快な文章で表現するのは、最初のうちは必ずしも簡単ではありませんが、やってみるだけの価値は十分あると思います。ブログを始めたけれども何を書いたらいいかわからない、という方の参考になればと思い、書かせていただきました。
Posted on : 27-10-2009 | By : sino | In : 地域社会, 雑考
流行に乗り遅れるのが大好きな私は、「ベストセラー」として宣伝されている本をめったに読みません。流行から何年か経って、本屋の在庫から切れかける頃合いを見計らって読むことにしています。
「話を聞かない男 地図を読めない女」という本が何年も前に流行りましたが、最近、その通りかもしれないと思わされる出来事に出くわしたので、書いてみたいと思います。
このブログでも何回も言及していますが、週に一回、中央公民館で日本語を教えています。で、今私が受け持っているクラス(といっても4人ほど)は生徒がたまたま女性ばかりです。
先週の金曜のこと、「~と、○○になります」と言う文型を教えていました。例えば「このボタンを押すとジュースが出ます」「夏が来ると、暑くなります」「その交差点を右に曲がると、銀行があります。」というような文を教えるわけです。最後の例は、地図を使えば簡単に例文ができると思ったので、単純な地図を描いて、「○○はどこにありますか?」と尋ね、その答えを言わせるようにしました。
ところが、ところが。
私の生徒たちは、驚くなかれ、その地図をほとんど「読めない」のです。私が提示したのは、真ん中に十字路があって、その周囲に建物を配置しただけの、単純極まりないものなのですが、それでも彼女たちは地図の解読に四苦八苦し、地図の描かれた紙を自分が進む方に合わせて回して初めて「その交差点を右に曲がると、左にスーパーがあります」と答えてくれるのでした。いやぁ、その難儀のしかたといったら見ていて滑稽なくらいでした。言っておきますが、彼女たちは日本語の「右」と「左」を十分区別できますし、祖国では普通の教育を受け、あまつさえ「学習委員」という日本でいう学級委員長のようなこともしていたという優秀な頭脳の持ち主ばかりです。
そんな彼女たちにあってこの体たらくは何なのか、と思わずにはいられませんでした。
そこで、思い当たったのが冒頭の「話を聞かない男 地図を読めない女」です。これ、前半はともかくとして、後半は嘘だと思っていました。女性が地図を読めないのなら、どんなに精度のいい、わかりやすい地図を作っても人類の50%にしか貢献できないことになります。そんな馬鹿な話があるわけがない、と。
私はほとんど病的な方向音痴ですが、地図は読めます。というより、方向音痴になったそもそもの原因が、地図があればどこに行っても迷うことはない、と人生の早い段階で悟ってしまったことにあります。それ以降は積極的に道を覚えることはしなくなり、つまり、地図が読み方を覚えてしまったがために、方向音痴になったわけです。そんな私にとってGoogleケータイが福音なのは言うまでもありません。
まあ私の話はどうでもいいとして、実際の話、女性にエスコートされてデートしたことなんて何回もありますし、女性の方が方向感覚は鋭いのかもなー、くらいに思っていました。そんな彼女たちが「地図が読めない」わけがない、と。
まあもちろん「私は読めるわよ!」と憤慨されている方もいるかもしれません。そういう人が実際にいることは百も承知です。ですが、思い起こしてみると、私の知り合いの女性のうち「地図を読めている」と断言できる人は驚くほど少ないのです。
さきほど「エスコートされて」と書きましたが、その場合、たいていは彼女たちの生活圏内だったり、遊び場だったり、職場に近かったり、いずれにせよ、よく見知っているテリトリーになります。「どこそこに行ったことがないから今度行きましょう」というわけでは決してありません。そして、女性が見知らぬ土地を訪れるときは、必ずといっていいほどガイドを雇うなりツアーに参加するなどして、絶対に道に迷わない算段をしてから出かけるのです。見知らぬ土地を一人で逍遥してみたい、と言う女性はドラマの中には出てくるかもしれませんが、現実にはちょっといそうにありません。
嘘だと思うなら、身近な女性に最寄りの駅から自宅までの地図を描かせてみてください。きっと驚くと思いますよ。
ところで、その「話を聞かない男 地図が読めない女」という本ですが、まさか市の図書館にあるとは思わず、本屋で探して見ましたが、見当たりませんでした。が、ネットで検索してみると図書館にきちんと蔵書されているではありませんか。中身を読んでいないので断言はできませんが、タイトルから推してどこぞのフェミニストなら焚書目録のトップにあげたい本なのではないでしょうかね。その点で、市立図書館の蔵書ポリシーは誠に大衆迎合的というか、ニーズによく応えているというか、いずれにせよ市民の感覚と離れておらず、大変よろしいと思います。
Posted on : 26-09-2009 | By : sino | In : 雑考
いつのことだったか正確に思い出せないのですが、たしか小学校低学年の頃、家にあった図鑑を眺めていて、「進化」という概念を啓示のように理解したときの感覚は未だに忘れることができません。とはいえ実際のところは、「生物は単純なものから複雑なものへ形を変えていった」という事実を理解したということであり、無理もありませんが、ラマルク主義(獲得形質は遺伝する)的な考えにはまっていました。つまりキリンの首はキリンのご先祖様が一生懸命首を伸ばしていたから長くなった、というアレです。私は小さな進化論者ではあったかもしれませんが、小さなダーウィニストではありませんでした。
その「発見」をした後、どちらが言い出したのか忘れましたが、「マンモスの牙はなぜあんなに長いのか」という点について父とささやかな論争が勃発し、それは今になっても決着を見ていません。(笑
私「マンモスの牙があんなに長いのは、きっと何かに使っていたからだよ。もともとは短かったのが進化して長くなったんだ。」
父「馬鹿なことを言うな。何かに使っていたら磨り減るはずだろう。あんなに長くなるまで伸ばせたのは、使わなかったからに決まってるじゃないか。」
以来、父をなんとしてでも説得したくて、生物の進化についていろいろな本を読み漁ってはいるのですが、これという結論には至っていません。
ただし、結論にこそ至っていないものの、その過程で実に様々なことが分かりました。例えば、先に挙げたラマルク主義は間違っていること、進化は小さな変異が膨大な時間の中で淘汰されることによって起こっていること、人類自身ももちろん進化の産物であり、動物の一種であること、むしろ人類はこの世界では新参者であること、などなどなど・・・。その過程で分かったことはどれも新鮮で、わくわくさせられ、どんな神話よりもスケールが大きく、興味深いものでした。
ところで最近、テレビのチャンネルを回していたら「ポケモン」をやっていまして、なんとその中では、個体が世代を経ることなく「進化」してしまうんですね。まあポケモンの番(つがい)の生殖シーンを見せろとまではいいませんが、もそっとこう「進化には想像を絶するほどの長い時間がかかる」ことを暗喩するシナリオはできないものかと思うんです。それに、進化の過程で生まれた実在した生物に比べ、ポケモンたちがなんとチンケで想像力に欠け、良識にがんじがらめのデフォルメを施されていることか。ポケモンが何種類あるのか知りませんが、それらが束になってかかっても、アノマロカリス一匹に敵わないでしょう。
私にもし子供がいたら、まがい物のデフォルメされたチンケでやたら好戦的な空想上の生物よりは、はるかに迫力がありこの世に実在し進化による洗練されたデザインの生物に触れさせることのほうを、迷わず選ぶでしょう。例えそれが「今」いなくても、それでも種は絶滅することもある、むしろこの世に生まれたほぼ全ての種が絶滅しているという見方によっては冷徹な事実を学ばせたほうが、より教育的価値はあると思うのですがどうでしょうね。
Posted on : 16-09-2009 | By : sino | In : Hacking, 読書道, 雑考
SF小説のよくある主題として、「将来、こんな機械・発明・社会ができたら、人間はどうなるか」というものがあります。少子高齢化が問題となっている現代日本ではちょっと想像しにくいのですが、つい20年くらい前のSF作家が共通して取り上げている主題は「このまま人口が増え、工業化が進んだらどうなるか」というものでした。SFというと宇宙人とか光線銃が飛び交う子供向けの読み物と思われがちですが、意外と現実的で身近な主題も取り上げています。
で、アイザック・アシモフやレイ・ブラッドベリ、ロバート・A・ハインライン、アーサー・C・クラーク、日本なら星新一や筒井康隆、小松左京といった「古株の」SF作家たちもいろいろ未来について予想し、それに基づいた小説を発表しているのですが、彼らの本をかなりよく読んでいるつもりの私でも、未だに出くわさない主題が一つだけあります。
私が書いている時点でだいたい予想はつくでしょうが、そう、現代のいわゆる「IT社会」を予想したSF作家がいないのです。
もちろん「未来のコンピュータ」はこれでもかというくらい出てきます。もっともそれも必ずしも現実と合致してはいませんが。彼らの描くコンピュータはたいてい大型で、保守に多数の人員を要し、局所的に、つまり少数の場所で全ての仕事をこなすようになっています。
ブラッドベリの「ネット嫌い」は有名ですし、彼らが計算機というものに精通していないので仕方ないのかもしれませんが、それでもヒントはあったはずなのです。
インターネットは元々ARPA Netという「軍事利用のために」構築されたコンピュータネットワークが、最初は教育目的に、さらに民間利用に開放されてきたという、あまり知られていない歴史を持っています。
なぜ軍事目的でコンピュータを結ぶ必要があったかというと、「熱核戦争勃発時、情報中枢に支障をきたさないため」というのがその理由でした。手短に言うと、インターネットは「核攻撃を受けても大丈夫なように」作られたのです。実際、インターネットで使われているプロトコルは、一ヶ所で障害が起きてもそこを迂回して情報をやりとりされるように作られています。
で、核兵器の実使用で終結をみた先の大戦を経験し、コンピュータがだんだん実用化され始めてきた時代を生きたSF作家なら、「もしコンピュータ施設が核攻撃を受けたらどうなるか」という発想があってもいいと思うのですが、どうもそういう着想をした作家はいないようです。もしかしたら私が知らないだけかもしれませんし、アシモフなどは「真空の空に帆をあげて」という科学エッセイの中で、ほぼ現在の電子メールに近いものを予想していますが、ワールド・ワイド・ウェブや検索エンジン、パーソナル・コンピュータを予想した人はいませんでした。まあ小説のテーマにするには卑近すぎるのかもしれませんけれども、それにしても誰か一人くらいは予想していてもいいのではないかとも思うのです。
一つには情報技術というものがあまりにも急速に発展してきたためかもしれません。ハードウェアの加速度的な進歩は言うに及ばず、ソフトウェアの面でも革新的な設計思想が年々発表されています。しかし、しばしば「革命」と称されるほどに衆目を集めるこの分野ですが、実際には旧来からあった技術を寄せ集めてできあがっています。さらに言えばインターネットの素晴らしいところは、決して一社や一国に独占された技術に依存していないという点なのです。ビジネスの世界では「差別化」という言葉が当たり前に使われていますが、ITの世界には当てはまらない、と私は思っています。最初から非独占的な、誰でも参画できるなんでもありの世界なのですから、独占しようというほうが無理だと思います。
もしかしたら、SF作家が今のIT社会を予想できなかった原因は、この非独占性にあるのかもしれません。
ところで私にはSF小説のネタになる(と思える)アイデアがあるのですが、ディテールはおろかプロットも描けないでいます。ときどき暇なときにひねくり回して遊んでいます。もし形になったら非独占的なライセンスで発表したいと思います。
Posted on : 22-08-2009 | By : sino | In : 外国語道, 雑考
数学や物理学、生物学という学問の名前なら、みなさん一度は聞いたことはあるでしょう。でも、「言語学」という学問についてはどうでしょうか?非常にしばしば、いわゆる「語学(特定の外国語を話せるようになるための実学)」と混同されるのですが、実は似ているようで異なります。
なんでこんなことを書いているかというと、昨日書いたように私がいろいろな外国語を学んでいる理由として、一つにはこの言語学のフィールドワークという意味があるからです。普遍文法というものがもしあるならそれを発見してみたいのです。
先ほども述べたように、言語学は語学ではありません。私が学生のときに籍を置いていたのは、「外国語学部英語学科」であり、「外国文学部英文学部」ではないのです。どういう違いがあるかというと、前者は英語という言語そのものについての研究をする(英語はどのように成り立ってきたか、シェークスピアの時代と現代英語はどう違うか)のに対し、後者は英語で書かれた文学作品について論じる学問(シェークスピアがあれほど様々な社会階層で使われていた用語に通じていたのはなぜか)であるということです。
で、長々と前置きしましたが、この言語学という分野、見方によってはこれからかなりアツいんではないかと思い、紹介してみたいと思いました。
話をわかりやすくするために端的な例を挙げましょう。
人間は今までいろいろな種類の機械を作ってきました。地面を走るもの、空を飛ぶもの、計算を瞬時にこなすもの、音楽を流すもの、映像を見せるもの、部屋を温めるもの、逆に冷やすもの、などなどなど・・・。ですが、未だに実現していないのは「言葉を話す機械」です。急いで付け加えておきますが、ここでいう「言葉を話す機械」とは、話し相手の言っている意味を理解し、相手や場に即した受け答えができるもののことです。
確かにそれに近い真似事をするロボットはあります。人の接近を感知し「いらっしゃいませ」と話しかける機械もあるにはあります(そしてそのような自動販売機の方が「人間より愛想がある」という理由で好んで買う人もいることも知っています)。が、それは人間相手の「会話」からはほど遠く、せいぜい少し賢いテープレコーダーといったところでしょう。
今のところ、計算機に自分の思う仕事をさせるには、人間のほうが機械に合わせて命令を書く必要があります。私が言っているのは、もちろん各種プログラミング言語のことです。そして、プログラマーが職業として成り立っているのは、この機械用の言葉を曲がりなりにも操れるからに他なりません。
さて、ここで言語学の研究が十分進んでいれば、人間の言葉を機械の言葉に翻訳するのはきっと訳もないことでしょう。残念ながらそうなっていないのは、言語学者の怠慢というよりは、そもそもこの分野が「哲学」と呼ばれるすべての学問の母親から最近独り立ちしたばかりの学問だから、という理由に依ります。
ですが、言葉を話す機械こそ生まれていないものの、世の技術者はこのよくわかっていない言語というものに対してかなりよく対応していると思います。かな漢字変換システム然り、検索エンジン然り。実際、形態素解析なんかさせてみると、言葉を話す機械まであともう少し、という気にさせられます。
ただ、熱力学の法則のような物理学的に普遍的な法則が、蒸気機関の熱効率を研究しているときに発見されたように、言語学に普遍的な法則が、逆にITの分野から見つかるかもしれません。いずれにせよ、言語学とITは十分役に立ち、かつ私の知る限り最もお金にもなりそうな組み合わせです。
Posted on : 15-08-2009 | By : sino | In : 雑考
神ならぬ身には未来がどうなるかなどということはなかなか見通せるものではありませんが、それでも今現実にある技術から未来を想像してみるのは楽しいものです。
さて、使っている方も多いと思いますが、最近の携帯電話にはGPS機能がついていて、自分が今どこにいるかを地図で確認することができます。私も最近携帯を買い換えたので、やっと使えるようになりました。
これを手にしてまず思ったのは、なるほど「ピンポイント爆撃」が可能なわけだ、ということでした。標的の正確な緯度・経度をミサイルに教えれば、後は衛星とのやりとりを元に誤差10mくらいの精度で簡単に爆撃できます(もちろん途中で打ち落とされなければの話ですが。)民生用の携帯でこれだけの精度を使えるのなら軍事用GPSではもっと高精度で可能でしょう。
まあ怖い話はこのくらいにして、私に見えた未来というのはもう少し平和的なものです。
FAX・電子メール全盛の現代においても、やはり紙による郵便配達というのは必要なものです。信書や公文書は言うに及ばず、年賀状だってまだまだ紙の方が主流でしょう。ただ、今の郵便システムに問題があるとすれば配達を人が行っているということでしょう。当然人件費もかさみますし、これを機械化できないか、と考えるのは自然な流れといえます。
そこで、携帯に搭載できるまでに小型化されたGPSと、ロボットヘリを組み合わせて郵便局から自動で配達させるというのはどうでしょうね。各家庭の郵便受けは玄関ではなく屋根に設置するようにします。
交通渋滞もなんのその、年賀状の季節には郵便ヘリが市内の上空を乱舞する様が目に浮かぶようです。
問題があるとすれば、
- まとまった郵便物を十分長い距離に渡って搬送できるロボットヘリの開発が可能かという点
- 天候に左右されやすい点
などがあるかもしれませんが、これらは比較的克服しやすいのではないかと思います。
ゴタゴタも片付いたようですし、日本郵便西川社長、このアイデア買ってくれませんでしょうか?w
Posted on : 22-07-2009 | By : sino | In : 雑考
今まさに皆既日食が始まろうとしているところですが、これって実は全く稀有な現象なんです。いや、地球上で珍しいということではなく、全宇宙的に見て。
地球の大きさに比して月はかなりの大きさで、この比率をもった惑星系は太陽系の中には他にありません。これがまず珍しい。他の惑星も衛星を従えてはいますが、惑星よりもかなり小さいんです。
そして、地球と月が形を成してから、月は地球から徐々に離れています。よってこの二天体が生まれて以来、月と太陽の見かけの大きさが一致するのは、この数万年以内のことなんです。つまりタイミング的にも今だけしか見られないということです。
将来、恒星間旅行が実現し、100箇所の恒星系に訪れることができたとして、同様の現象がありうるのは地球だけだったとしても私は驚かないでしょう。
そして、それだけ稀有な現象を観測できる知的生命体が地球だけに誕生したというのは偶然のなせるわざなのか、はたまた神の意志なのか。なんともロマンを感じさせますね。
Posted on : 22-07-2009 | By : sino | In : 地域社会, 読書道, 雑考
塩野七生さんといえば、イタリアの歴史小説を数多く上梓されていて、歯に衣着せぬ人物評が大変面白い人です。
ここに、世に賞めそやされる使命感に燃えた人間の持つ危険と誤りがある。たしかに彼らには、狭い意味での利己心はない。だが、高い使命のために一身を捧げると思いこんでいるために、迷いや疑いを持たないから、独善的狂信的になりやすい。それで現実を見失う。だから、やり方は大胆であっても、やるひとつひとつが不統一になるのである。結果は失敗に終る。
上の引用は16世紀、キリスト教会の頂点の座である法王を勤めたジュリオ二世という人物に対する著者の評価。ジュリオ二世は法王の権威、わかりやすく言うと法王領を守りたいがために、フランス、ドイツ、スペイン、ベネツィア共和国などの周辺諸外国をとっかえひっかえ「毒をもって毒を制す」的に利用しました。
名指しすることは控えさせていただきますが、私にもこれに当てはまる知人が一人います。彼の志の高さと熱意たるや文句のつけようのない立派なものなのですが、私から見るとやや現実離れしていて、もう少し腰を据えて取り組んだ方がいいのに、結果を求めて次のことに手を出すという感じで、どうも落ち着きが感じられない。
かく言う私も名前に似ず飽きっぽい性質なのですが、彼と違うのはそれを自覚しているという点です。志だってあるけれどもあまりそれを表に出すことはありませんし、また適度に利己的でもあります。早い話、「お金にならない仕事はしない」ということです。誤解のないように言っておくと「お金になりそうな仕事」はします。お金になりそうかどうかは自分の勘で判断するしかなく、往々にして外れることもあるのですが。(笑
特に、声高らかに自分たちのしていることを「すばらしい」「画期的」と評している集団は軽いカルトとさえ言えるかもしれません。普通だったら「ああすればよかった」「こうすればいいのに」と常に反省の目を自分たちに向けるものです。それができなくなっているというのは自己チェック機能が失われた証拠で、一種の老害でしょうね。
Posted on : 21-07-2009 | By : sino | In : 経営道, 雑考
例えば合コンとか、例えばお見合いとか、例えば飲みの席とかで、表題のようなことをよく聞かれるのですが、どう答えたらいいものか、いつも思案してしまいます。
「IT企業の社長してます」と言うのもアレなんで、最近は「計算機屋です」と答えるようにしています。一瞬意味がわからないようで、たいていは「?」マークが頭の上に浮かんだ表情をしてくれます。(笑
自分で言うのもなんですが、パソコンの納入、コード書き、サーバ&システム保守、ユーザサポートなどなど、個人でできる範囲のことはたいていやっていますね。ずっと前に、田舎のIT屋は町医者と同じで、内科も耳鼻科も皮膚科も外科もやらなくてはいけないというようなことを書きましたが、その姿勢は変わっていません。
私の知人は自分のことを「IT土方」と言っています。その人はスキルも知識もモチベーションも自分より数段勝っているのですが、「土方」と自称するあたり、カッコイイっすね。私は雇われる立場じゃないのでそうは言えませんけど。
私はこの世界にサーバ&システム管理者として入ったのですが、いつの間にかコードを書くようになっていましたし、こっちに帰ってきてからは他人の使っているコンピュータの面倒までみるようになりました。でもやっぱり年のせいかコードを書くのが年々億劫になっています。ただ、どう書いたら楽かは知っているので、書き出したら結構早いです。
田舎でこの手の仕事をしていて一番楽というか幸せに感じるのは「納期」や「締切り」が絶対ではないということです。誤解のないように言っておくと、納期がないわけではないんです。ただ、その決まり方がかなりゆるい(「夏になって忙しくなる前」とか「台風シーズンが来る前」とか)ですし、多少お客様をお待たせさせることになっても、都会で仕事をしているときほど大きな問題にはならない。それよりも大切なのは、「何か起きたときにすぐ対応できる」姿勢を示しておくことですね。電話一本ですぐサポートに回れるというのはかなり信用を得られるようで、好評をいただいています。
ビッグマウスを叩かせていただくと、弊社があるかないかで「鴨川の情報化の早さが10年違ってくる」と言われるような存在でありたいと思っています。