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ダイエット再開します

去年川崎に行っていたとき、レコーディングダイエットというのをやって 94kgまで体重を落としたのですが、鴨川に帰ってきてママ飯を食べているうちにまた太ってしまいました。

なので、またダイエットに挑戦しようと思います。現在の体重は100.2kg。方針は次の通りです。

  • 運動は、しない
  • 禁煙しない
  • 体重は毎日計る
  • 間食はしない
  • 今使っているどんぶりと代わらない茶碗を小さいのに変える

「運動しない」なんて随分やる気ないなと思われるかもしれませんが、去年の経験からすると、無理に運動しなくても十分体重は落ちます。基礎代謝よりちょっと多めのカロリーを取ることを維持すれば、自然とやせられるんです。

むしろ難しいのは、母の愛情こもった手作り料理をいかにして少なく取るかということです。(え、マザコンじゃねぇのかって?そうですが、何か?) ちょっとでもダイエットの気配を見せると、「もっと食べなさい!」と無理無理進められるんです。これが子供としては辛いところ。むしろ、ファミレスやコンビニ食の方がカロリーを簡単にコントロールするという点ではダイエットに向いています。

が、ここは心を鬼にして、小食を心がけようと思います。 その一歩が、茶碗の取替え。

体重曲線(ページ右上)も再開します。理事長もダイエットを開始したようですので、どっちがやせられるか競争です。w

だからブログはやめられねぇ!

弊社の、というよりほとんど私の個人ブログになってますが、ご覧の通り、このブログにコメントが寄せられることはあまりありません。

でも!いいんです。私には現実の世界で「ブログ読んでるよ!」「 あの記事面白かった」と生の声を聞かせてくれる読者が沢山います。コメントをつけてくれるのももちろんありがたいですが、 こういう生の声の方がよほど嬉しい。なぜなら、読者を想定して記事を書けるからです。

ブログを始めるときに、真っ先に不安になるのが「誰がこれを読んでくれるのか?」ということです。書くのはいいけど誰も読まないんじゃ意味がない。最初はそれでも書き続ける勇気(というのは大げさですが)がかなり必要なんです。

そこへ持ってきて、「ブログ読んでるよ」の声は本当にありがたいものがあります。また、生の声なら「こういう人(たち)が読んでくれてるんだな。じゃあここの言い回しはこうしよう」などと方策を考えることもできます。

まあブログに何を書こうが基本的には人それぞれ自由です。が、よく、食べたものの写真をアップして終わりとか、「~しました。~しました。」と事実だけを書き連ねたブログを見かけますけど、それじゃあやっぱりつまらないですよね。書いた人が何を感じたのか、またその人独特の観点のようなものがないと、と思うんです。

そして、その時に「読んでくれている人がいることを意識して書く」という姿勢が大事です。商売でいえば接客態度みたいなものです。私が「~です。~ます。」と基本的には丁寧語で書いているのはそのせいです。

mixiみたいなSNSもいいけど、現実の世界で生の反応が聞けるパブリックブログには代えがたいですね。これからも続けていきますので、皆さんどうぞよろしくお願いします。

いわゆる「ホームページ」の時代は終わった。

何がいいたいかというと、更新されないWebサイトにはもはや価値がない、ということです。CNET Japanの記事によると、「こんな企業サイトはイヤだ」のベスト(ワースト?)1は

情報が数ヶ月間更新されていない

 だそうです。「数ヶ月間」ですよ。いわんや年単位で更新されていないホームページは

ゴミ同然

と言えるでしょう。

でも、これは実感としてわかりますよね。例えばある企業について検索してみたら、そのサイトが一目して数年前の情報しか載っていないとしましょう。果たしてその情報は今も有効なのか?社会は常に変動しますから、その企業が存続しているかどうかさえ怪しいものです。

逆に、ちょっとでも更新されていれば、少なくとも企業活動はされていることがわかります。社会の変動に対して、その企業がどう反応しているかさえ知ることができます。

というわけで、いわゆる立ち上げっぱなしのホームページにはすでに価値はないと言えるでしょう。当然ですが、Webは印刷媒体とは違いますから(それだけに値づけも難しいのですが)これからWebサイトを立ち上げようという方は、更新することも視野に入れて運営されればと思います。

拉致はテロではありません。

アメリカによる対北朝鮮の「テロ支援国家」指定が解除になり、日本の拉致被害者家族の方々がこれに強く反発しています。家族を国家ぐるみで連れ去った国に対して悪のレッテルを貼っておきたいという気持ちはよくわかる。が、それでも拉致はテロではないんです。

テロとは社会的不安を煽ることによって自分たちの主張を無理矢理通してしまおうとする手段です。爆弾をしかけたから刑務者を釈放せよ、とか、自分たちにこれ以上干渉すれば飛行機をビルにぶつけるぞ、とか。

北朝鮮の拉致は、(日本人の)誰にも気づかれないようにひっそりと行われたわけで、この点、いわゆるテロとは全く異なる、「国家的犯罪」です。これが例えば「米を送らないと日本人を拉致するぞ」とか「過去の朝鮮併合について謝罪しないからマンギョンボン号に爆弾満載して送った」とかいう話なら、立派な「国家的テロ」です。

だから、拉致被害者家族の方々、またメディアが「拉致はテロだ。だからアメリカは指定解除すべきではない」という論調になっているのをよく見かけますが、ちょっとこれは通らないと思うんですよね。


それにしても、と思うのが、北朝鮮の国民性についてです。軍が強い統制を布いているとはいえ、普通の国なら反乱なり革命なりが起こっていてもよさそうなものなのに、それがない。批判的精神が決定的に欠如していますよね。長く儒教の影響下にあったからなのでしょうか、これもかの国の文化的側面の一部なのかもしれません。

すっごい自己否定だな…(秋葉原連続殺傷事件報道を見て)

秋葉原連続殺傷事件の加藤智大容疑者が携帯サイトに書き込んだ独白(?)をテレビで見ました。第一に感じたのが、とてつもない「自己否定」。ここまで自分に対してネガティブになれるのかと思うほどです。

それとともに感じたのが、「ユーモアの無さ」「人に読まれているという意識のなさ」です。あの書き込みを見て「面白い」「なるほど」と思ってくれる人がいると彼は考えていたのでしょうか。あそこまで自分を追い詰める前に、「まあこんな俺だけど、なんとか生きてます。ははっ」と自分を笑い者にするくらいの発想の転換ができなかったのかと。彼女がいない、顔が不細工、金がないなんて、自分と大して違わないじゃないかと半ば自嘲的に思ってしまいますが、そこで自嘲的になれるかどうかが人生を分ける場合もあるのかも知れません。

常々思っているのですが、ネットで人の輪が広がるなんて愚かしい幻想です。まして自分の悩みを聞いてもらえるなんてことはまずありません。ネットにできることはせいぜい現実の人間関係の補強くらいで、私にしても、このブログは現実に読んでくれている人のことを想定して書いています。そうであることを意識して書くことで、社会に対する姿勢の矯正やパブリックに発言することの訓練になる、と思っています。

だから、「独白」で自分を追い込まないで欲しい。ネットに書き込む前に現実の人間関係を築いて欲しい。どうせ書くのなら、人を楽しませることを考えて欲しい、と思います。

日本戦でラフプレー続出、粗雑すぎるプレーに地元ファンもあきれ顔―中国

Record Chinaの記事より引用(文字強調は高梨)。

2008年2月20日、サッカー東アジア選手権の日本対中国戦が行われた。日本は前半に挙げた1点を守りきり勝利、中国は2連敗となった。中国サッカーファンの間では代表の不甲斐ないプレーを責める声とともに、そのあまりにも粗雑なプレーぶりへの批判が高まっている。

「プレーが、技術が、意識が、あまりにも雑すぎる」これは実況を担当した中国中央電視台(CCTV)アナウンサーが漏らした言葉。前半から各所に 見られた中国代表のラフプレーは時間の経過とともにその数を増やした。後半立ち上がりに日本代表の安田理大選手が中国代表GK宗壘(ゾン・レイ)選手に跳 び蹴りを受け負傷退場するなど悪質なファールも少なくなかった。後半には鈴木啓太選手、李[王韋]峰(リー・ウェイフォン)選手が互いにこづき合うなど一 触即発の事態となった。

サッカー中国代表は近年低迷を続け、ファンの期待を裏切り続けている。昨年のアジアカップ惨敗を受け、新たにペドロビッチ代表監督が就任、ワール ドカップ第三次予選初戦では格上のイラク相手にアウェーで引き分けたが、集中力の欠如や多すぎるラフプレーといった問題は解決されていない。ネット掲示板 では「恥ずかしい」「これが本当のカンフーサッカー」などと代表を批判する書き込みで溢れた。

実際の試合は仕事しながらだったのでほとんど見ていなかったのですが、ニュースなどにも取り上げられていたので、「ああ、またか」と思っていました。

が、今回注目したいのは中国内部からも批判の声が上がっているということです。中国国民に自国を批判的に見る視点が醸成されつつあることの表れで、大変好ましいことだと思います。こういう変化を私は長らく期待していました。

願わくは、こうした視点が今日本国内で問題になっている中国製食品にも広がっていけば、と思います。 報道が操作されているようなので難しいかな、とは思いますが。

無宗教者は科学原理主義者か?

私が、個人的に心の中では、無宗教であり、いかなる神も信じていないことは前のエントリでも述べましたが、それについて改めて述べておきたいと思います。

どうも無宗教というと「科学至上主義で、個人主義で、宗教を否定することで格好つけている」という手垢で真っ黒になったステレオタイプにはまっている人もいるようですが、私の中で、宗教の一番鼻持ちならないのは、まず「信じる」ことを多かれ少なかれ前提としていることです。キリスト教やユダヤ教、イスラム教は神の存在を信じなくては成り立ちませんし、神道だって神様に対して何やかやの儀式をしているわけでしょう。これは自然宗教と創唱宗教の別なく同じことです。仏教も宗派によるかもしれませんが、特定の念仏なりを唱えれば極楽浄土に行けることになっていますね。

対するに、 私の好みにあっている哲学は、まず「疑う」ことから始まります。哲学的な発想には「本当にそうだろうか」「なぜこうなっているのだろう」という視点がかかせません。「哲学的な発想」なんて書くとえらく難しくて高尚な感じがしますけど、要は、何についても当たり前のことと思わず、自分の頭を使って考えてみる癖をつけるということです。「このやり方で本当に効率がいいのだろうか、もっと工夫できるんじゃないだろうか。」「1と1を合わせると2になるけど、1つのものを分けるとやっぱり2になる。『合わせる』と『分ける』は全然違う行為のはずなのに、なんで結果は同じなのか」「地面の下から、動物の骨のような形をした石が出てきたが、今いる動物のどれとも似つかない。神の所業でないとしたらこれはいったい何なのだろう」「リンゴは木から落ちてくるが、月は地球に落ちてこない。なぜなのだろう」「光が波動だとすると、それを伝えているのはどんな性質のものなのか」…。現代の文明はこうした哲学的な、懐疑的な視点なくして語れません。

然るに、宗教は人類に一体どんな貢献をしてきたでしょうか?毎日毎日、世界中の人が神に祈りを捧げているからといって、彼らの願いは聞き入れられるのでしょうか?そして、そうした祈りをしかつめらしくもっともらしく強制する宗教家に、果たして存在理由はあるのでしょうか?

それから、無宗教者が「個人主義者」であるという主張については、ちょっと受け入れがたいように思います。私は国家のためなら、命を捨ててもいいという覚悟はいつもあります。まあ私が命を捧げたからといってどれだけ役に立つかはわかりませんが。(w 国旗に対して敬意を表することに何の抵抗もありませんし、この機会だから言いますが、消防の出初で国歌を斉唱しないのはおかしいと個人的には感じました。

宗教家と哲学者を扱ったジョークにこういうものがあります。

宗教家が哲学者に言った。「哲学者とは、真っ暗な部屋で目隠しをして、いもしない真っ黒な猫を見つけようとしている馬鹿者のことですな。」
「なるほど、そうかもしれません。」哲学者は言った。「ですが、宗教家はその猫を見つけてしまうんですな。」

私は黒猫を探しているほうが性にあっていそうです。

 

ボランティア日本語教師

今日、国際交流協会の会報で、水曜日にも日本語教室をやっていることを知り、矢も楯もたまらず行ってしまいました。いきなりだったので、最初はうさんくさがられ(?)ましたが、学生のとき日本語教師の課程を取っていたことを言ったら金曜夜の授業でアシスタントとして採用されることに。以前、といっても2年くらい前はなかなか出られなかったので、今度は続けたいと思います。

で、思うんですが、こういう草の根的な活動ってもっと知られていいんじゃないかと。まあ基本ボランティアですから広報活動まで手が回らないというのが実情なのかもしれませんが、もう少しPRするだけでより地域のイメージアップに繋がると思うんですよね。

というわけで、日本語ボランティアだけでなく、弊社も微力ながら協力したいと思います。

消防の夜警デビュー

今日は消防の夜警に行ってきました。本当は12/15がデビュー予定だったんですが、当日の都合がつかず、今回の遅咲き。もらった紙に「制帽」と書いてあったので、制服ももちろん着ていったのに、誰も着てる人はいませんでした。やられたー。

同期入隊、といっても年下の斉藤君の仕切りが大変よろしく、無事に夜警を終えることができました。

まあまだ新米のぺーぺーですけど、消防の皆さんよろしくお願いします。m(__)m

やっちまったぁ!

DoCoMoに引き続き au でも定額データ通信サービスを始め、そちらの方が安いことは以前のエントリに書きましたが、それを今日早速申し込んで来たですよ。

これでどこにいても仕事ができる!コーヒーでも飲みながら余裕かましてネットやってたら、俺ひょっとしてモテるんじゃねーか?

なんて妄想しながら、ワクワクして家に着きました。さて、サクっと設定してモテ男になるかなー、とダミーカードを抜いて、au の通信カードを差込み…あれ?何か変。カードが奥まで入らない?ハァ?どうなってんのこれ?とよくよく見たら、このノート、

Card Bus じゃなくて Express だった。orz

え、何コレ?俺仕事でパソコンやってるクセにこんな初歩的なミスやらかしてるわけ?それってありえなくね?

半ばパニクりながら情報を検索すると、Card Bus -> Express カードの変換アダプタは見つかりました。がしかし、取り扱っている(はずの)ショップが今日は休み…。

うーん、本当は明日から消防の詰所で留守番しながらパソコンやりたかったんですが、そうもいかなくなりました。しかもそのアダプタで使えるようになるとは限らないし、何日か欲求不満の日々が続きそうです。

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