ヤター! iPodデッキできたよー!!(^ε^)

今年も残すところあと1日となりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか?最近、すっかりハードウェアづいている高梨です。

ところで、「iPod classicのサイズって、昔のカセットテープとだいたい同じじゃね?」と思ったことはないでしょうか?私はあります。なので、中古の車載用カセットデッキにiPodを組み込めないものだろうかと常々思っておりました。

「そんな手間かけるんだったら、それなりの製品があっべぇ」とお思いの方もいらっしゃるでしょう。そう、実際あるんですが、

  • FMトランスミッターは音質が悪い。お値段高めのものは音もいいのかもしれませんが、以前買ったことのある2〜3千円のものは、残念な音しか出ませんでした。
  • カセットテープの形をしたアダプタは、壊れやすい。これもモノによるのかもしれませんが、ひと夏入れっぱなしにしておいたらカセットデッキもろとも使えなくなったことがあります・・・。音質はFMトランスミッターよりはかなりマシですが、機構上どうしたってカセットテープレベルです。
  • 私の車にはCDプレーヤがすでについていたので、音楽を一度CD-Rに焼けばいいとも言えます。が、それはめんどくさい。ここはギークらしく(?)iPodから直接再生することにトライしてみたい!

などなどの理由により、今回の改造に挑戦することにしました。

貧者の物品調達所w、Yahoo!オークションをチェックしてみると、だいたい送料込みで1,500円から2,000円くらいで入手できそうなことがわかりました。このくらいなら、壊れたところで諦めがつきますし、成功したらめっけもの、くらいに考えて、サクっと落札。

そのカセットデッキがこちらになります。下に並んだボタンをよくみると AUX と書かれているものがあることがおわかりいただけると思います。AUXとは何かというと、auxiliaryの略で、元は「予備の、補助の」という意味ですが、ここでは外部音楽プレーヤからの入力を受け付けられることを意味します。要するに、iPodのイヤフォン信号を、このデッキのAUXに繋げてやればいいわけです。

商品が届き、iPodが本当に入るかをチェックした写真がこれ↓

ビンゴ!思ったとおり、厚さはピッタリでした。幅は若干iPodの方が狭いのですが、まあそこは入ればヨシということで。iPodの操作ダイアルは外に出し、この状態のまま操作できるようにします。

また、カセットを挿入すると、当然奥に動くようにできているので、それを防ぐためにワイヤーで固定します。ちょっとわかりづらいですが、ステレオミニジャックもiPodの穴と一致するよう、取り付けています。

この段階で、一旦マイカー(トヨタ Bb)に取り付けられるかチェックしてみることにしました。こういった車の改造は初めてでしたので緊張しましたが、なんとかパネルを外すことができました。

すると、なんとも私らしい痛恨のミスが発覚! 私の車は前述の通りトヨタ車なのですが、このテープデッキはマツダ車用なのでした・・・。マジカヨ orz

がしかし、こんなことでメゲる私ではありません! 気を取り直して、トヨタ車用「逆カプラ」をやはりヤフオクで落札。逆カプラというのは、車からのコネクタを社外品(車メーカー以外の機器)に接続するための部品です。それをハンダ付けした写真がこちら。

これで、車への接続はできるようになったのですが、ここで問題なのが「いったいAUX端子ってどこにあるねん?」ということでした。が、ぐぐってみると、このようなページを発見!私のデッキにも、上記接続線の他に16ピンのソケットがあります。なので、以下の要領でハンダ付けしてみました。

最初、6番ピンと9番ピンを1kΩの抵抗で直接ブリッジしたのですが、それだと、チューナー(ラジオ)モードに切り替えてもすぐAUXモードに戻ってしまいます。要するに、AUX入力を使うタイミングで、何か別のスイッチで6番と9番を抵抗経由で接続しなければならないのでした。

でも、それはやはり不便。iPodを入れたら自動でAUXモードに切り替わって欲しいものです。

なので、またまたヤフオクでこのスイッチをゲット。

組み込んでみた様子がこちらになります。iPodとうまく接触し、スイッチが動くよう、腕を加工しています。

上述のAUX入力にミニジャックからの銅線ハンダづけし、蓋を閉めたところでデッキの改造は完了です。前面からの外観は全く変わっていません。

 

そして、いよいよ車に取り付け。果たして期待通り音が出るでしょうか・・・?

キタ━━━━━━( ∀ )━━━━━━!! 出ました!・・・って写真じゃもちろん分かりませんが、私の好きなK-POPが結構な音質で流れています。オーイェー! (ただ、若干ですが、高音部がシャリシャリする感じはあります。iPodはイヤフォンで聴くことを想定して作られているはずなので、周波数分布にバイアスがかかっているのかもしれません。この辺りは妥協するか、別途ローパスフィルタを組み込むかですね・・・。)

以上、サラサラっといかにもすんなりできたかのように書きましたが、実際には試行錯誤の繰り返しでした。とりかかってから完了するまで、約2週間かかっています。もちろんこれにかかりっきりだったわけではないものの、かなりの時間を費やしてしまいました。。。暇じゃないとできませんね。w

ひょっとしたらマネをする方がいるかもしれないので、あらかじめお断りしておきますが、

この記事に書かれていることは、一切無保証であり、この改造を行ったことによる、全ての事故・破損・障害について、私は責任を一切負いません。

ということをご了解いただいた上で、ポイントを挙げるとすれば

  • カセットデッキのソケットはよく確認して車種を間違えないこと。ここをミスると、私のように逆カプラを取り付けなければならなくなってしまいます。
  • デッキにAUXモードがあることを確認すること。
  • 少ないとはいえ、若干のハンダ付け作業は必要。
  • カセットデッキは、「壊れてもいいや」くらいの気持ちで購入すること。今時カセットデッキなんて中古でしか手に入らないでしょうし、そもそもが正規の使い方ではないので、この心構えは重要です。

というわけで、オーディオに関していえば文句ない状態にはなりました。・・・が、リアシートやトランクが、ゴミやらジャンクパーツやらで埋まっており、そちらを片付けた方が快適なことは言うまでもありません。。。orz 今年はカブにもよく乗りましたけど、同様によく働いてくれた愛車に感謝をこめて、今更ですが大掃除することにします。みなさま良いお年を!

クラウドを駆使してソーシャル図書室を作るまでの道筋 Part.2

こんばんは。小さい頃から図書館や書店で背表紙が並んでいる本棚を前にすると、ウ◯コを催してしまうくらい本が好きな高梨です。

さて、以前から寝かせていたアイデアではありますが、「個人間で書籍をシェアする」システムを作りたいなぁと常々思っておりました。で、技術的にこういうものを使えばできそうだ、という目処は立っていたんですが、実際に作るにあたって、あと2つほどクリアしなければならない点がありました。

一つは、「法律的に問題はないか?」という点です。基本的に、「何かが自由であることはいいことだ」と考える自由主義者の私ではありますが、さすがに

  • 出版社や作家に起訴されたり
  • 多額の賠償金を請求されたり
  • 挙句の果てにはブタ箱に放り込まれたり

してまでもそれをやりたいか、と言われれば、答えは

全力でNO (゚Д゚ )!!

です。なので、法律、今回の場合は特に「著作権法」に照らして問題がないかを確認する必要がありました。

今の時代便利なもので、法律も全部Webに載っております。そこで、著作権法を調べてみるとこういう記述がありました。

第三十八条
4 公表された著作物(映画の著作物を除く。)は、営利を目的とせず、かつ、その複製物の貸与を受ける者から料金を受けない場合には、その複製物(映画の著作物において複製されている著作物にあつては、当該映画の著作物の複製物を除く。)の貸与により公衆に提供することができる。

要するに、貸し出す人がその見返りにお金を要求したり、貸し出し料を設定したら、それはアウトなんですね。まあ私が考えていたのも「貸本屋を助ける」システムではなく、個人間で相互に貸し借りする、それも手渡しできるくらいの地理範囲のことを考えていたので、これはクリアしていると考えてよさそうです。

さて、たぶん法的にはOKなのはいいとして、もう一つ私にとって心配なことがありました。それは、「作ったはいいけど、果たして使ってくれる人が本当にいるのか?」ということです。まあ開店同時に引きも切らないアクセスがあるだろう、とは思いませんが、一般の本好きのニーズにマッチしているかのか、もしかしたらこんな変なことを考えるのは私だけで、だーれも使ってくれなかったら開発を続けるモチベーションを維持するのも難しいでしょう。

読書というのはどちらかというと家の中の、個人的な性格の趣味なので、例えばスポーツなどのように試合や練習で仲間に出会う、ということはありません。ましてやこの鴨川で、読書人というのは目立たないマイナーな存在です。人口の割に書店は多いので、たぶん人数はそこそこいると思いますが見つけるのが難しい。

しかし、これもよくしたもので、Facebookで鴨川在住の、きっと私以上に本キチwな人を見つけることができ、この構想を話してみたところ、大いに乗ってくれ、ぜひやりましょう! ということになりました。これで、「ユーザ数 永久ZERO人!」という事態は避けられそうです。ε-(´∀`*)ホッ

さあ、あとはサクっと設計してガリガリコードを書くだけ!・・・なんですが、ま、ここからが技術屋として「産みの苦しさ」を乗り越えなければならないところです。

あ、「もうひとつ大事なことがあるだろっ!それでどうやって金を稼ぐんだYO!? ヽ(`Д´#)ノ」という声が聞こえてきましたので、お答えしておくと、

「ほとんど考えてませんが何か?」┐(´∀`)┌

です。w 私も一応商売人のセガレですから、全然考えていないわけではないんです、もちろん。というより、もし収益の見込みがあったら、私より先に誰かがやっているでしょうし、私自身ももっと熱心になっていたでしょう。ただ漠然と、今のところ考えているのは

  • 他の地方自治体からお呼びがかかる(かもしれない)
  • これを作ることにより、弊社や私の知名度があがる(かもしれない)
  • 知名度が上がれば商売上有利になる(かもしれない)

というところです。

興味がまるで湧かなかったので、正確にそれを何というのかは忘れましたが 「評価経済社会」といって、最近は「有名になればなるほど幸せになれる時代」なんだそうです。まあ「自分よりフォロワー数の多い者には敬語を使え!」とのたまう人が現れるくらいなので、そうなのかもしれないなぁ、などとも思いますが、世に名を馳せるよりも「まずは自分が欲しい物を作る。そしてできれば多くの人にそれを使ってもらいたい」という感覚を大切にしようと思います。

そんなもんなら10年も100年も2000年も前からあるYO! (・∀・)ニヤニヤ

英語はなんとか話せるのに、横文字(カタカナ語)にはめっきり弱い高梨です。つい最近まで「コンデジ」のことを「コンシューマー・デジカメ」だと思っていました。orz

さて、その私以上に横文字に弱い親父とNHKを見ていたとき、こんな質問をされました。「この人はコミュニティ、コミュニティって言ってっけんが、コミュニティっちゃあんだえ(何だい)?」コミュニ「チー」と言わなかったところは、我が親ながら褒めてあげたい。w

で、「んー、まあわかりやすく言うなら、『近所付き合い』とか『仲間』ってことかな。天津なら天津の、仲宿なら仲宿の近所、みたいな」と答えました。(これが正しい答えかはツッコミ不要)

ただ、そこでハタと思ったんです。私たちはどうも昔からあるものを新しい名前で呼ぶことだけで何かを得たような気になっていないだろうか、と。特にアーリーアダプタ、天津弁でいえば「ニイモン好き」な人にこの傾向があるような気がしてなりません。

いや実際私が飯を食っている業界なんてその最たるものでして、VPS→IaaS、NFS→ファイルサーバ→NAS→パーソナルクラウド(?)なんて本質的には何も変わらないのに、あたかも革新的な新製品のように呼び方だけを変えたりしています。営業な人に言わせれば「その方が売れる」からなんでしょうが。

千葉で働いていた当時、とある企業の企画会議の末席に加えていただいたことがあるのですが、正直に申し上げて、私としてはあまりなじめませんでした。というのは、私以外の人たちは何か斬新な着想をその会議で得た!と大喜びしているようなのですが、私は「え!?それって孫子が言ってたことだよね?」「そんなことなら孔子も言ってたよね?」と内心で感じることがしばしばあったからです。つまり私からすると、彼らがあまりにも不勉強に見えたのでした。いや、もしかするとみんな内心では私と同じように感じていて、でも場の空気や社内的な政治事情を計算して喜んでいるフリをしていたのかもしれない。まあきっとそれは勘ぐり過ぎでしょうけど。

最近何かの本で読んで思わず笑ってしまったのですが、アメリカのある大学教授の調査によると「貧困層の収入が増加するにつれて、彼らはより社会的・文化的な生活を送る傾向を示す」という結果を得られたそうです。わざわざそういうことを大真面目に調査・研究しなければわからなかったことに呆れて笑ってしまったので、そんなことなら「衣食足りて礼節を知る」と3,000年近く前に斉の管仲が言っていたことです。ちょっと前の日本人なら「斉の管仲」は知らなくても、誰でもこの言葉を知っていたでしょう。

私が「ああ、この人は『常識』がないなぁ」と思うのは、そういうときなのでありまして、何も世間一般と比べてやや変わっているとか、想定外の行動をする人に対してではありません。それは個性や特徴のうちなのであって、誰だってそれぞれ人とは違っているものです。

ましてや諸行無常の人間社会において、何かが「絶対」ということはありません。最近は、冒頭に挙げた「コミュニティ」の時代なんだそうですが、そんなものなら天津にだって昔からあったので、ただそれを「コミュニティ」なんて横文字で呼んでいなかっただけのことです。

今ふと思ったのですが、こうした代替語(新語とは敢えて言いません)を使うことには、使う本人に取って一つの利点があるようです。それは「場の流れを一瞬止めさせる」効果です。何か聞き慣れない言葉を耳にしたら、普通は「ん?なんだって?」と耳をそばだて、次に「それはどういう意味だろう」と文脈から類推しようとします。それでもわからなかったら「あの、すみません、今おっしゃった◯◯というのは、どういった意味でしょうか?」とへりくだって尋ねるでしょう。その間にも話し手はどんどん話を進められるわけで、それだけ優位に立てることになります……

あれ?私としたことが、なんだかジジイのような主張になってしまったでしょうか?私は新しい物を受け入れることのできない、頑迷な老害オッサンになってしまったのでしょうか?いや、たぶん、「新しい考え方やモノを受け入れること」と「昔からあるものにヨコモジ(または似非四字熟語)の名札を付けて呼ぶこと」とは、全く別のことなのだと思います。その見極めは時に非常に難しいものですが、それをしないと、読み・聞きかじった言葉を垂れ流す「九官鳥人間」に堕してしまいかねませんから。

好っきやなー、スキャナ!(^ε^) あるいはクラウドスキャナ再挑戦!の巻

カメラで写真を取ることにはほとんど興味はないのですが、文書を電子化することにかけては目がない高梨です。スマホのカメラも、写真を取る機械としてよりも、ほとんどメモを手軽に取る道具としてしか使っておりません。

かなり以前、こんなエントリを書きましたが、やはりというか、自己満足に終わってしまい、ほとんど活用しておりませんでした。

が、前回も書いたように、タブレット端末での書籍・紙データの閲覧に「覚醒」してしまったため、「自炊生活」を始めることにしました。いや、この際だから証拠書類としての紙以外はすべて電子化してしまおうかと目論んでおります。

まず、今身の回りにある「紙」についてですが、これは大きく以下のように分類できます。

  • 書籍
    • 仕事で使うもの(=経費扱いになるものw)
      • 技術書・・・厚い本が多い。電子化できれば協働者と共有できるなど、メリットも多い。
    • 私用で買ったもの
      • 文庫・新書・・・冊数では圧倒的多数。たぶん総数では1,000冊くらいある。1冊1冊は小さいが、チリ積も状態。
      • ハードカバー・単行本・・・どちらかというと、持っていること自体に自己満足を覚える書籍。w 一部を除き再読することはあまりない。図書館に寄付してもいいかも。
      • 漫画・・・あまり冊数はないけど、一応取っておきたい。
  • 書類
    1. 証拠書類 ・・・契約書・領収書・納品書・レシートなど、紙の状態で取っておくことに意味があるもの。廃棄することはできない。
    2. 各種通知書類・・・紙自体は廃棄してもいいが、中の情報が重要なもの。卸値表・FAXで受けた書類など。
    3. 勝手に億られてくるカタログの類・・・一度目を通せばほぼ不要。電子化の必要もなし。

ただし、技術書の大多数は先日業者に頼んで電子化が済んでおりまして、電子化が必要になるのは、「文庫・新書」「漫画」「各種通知書」です。そこで前者2種についてはドキュメントスキャナ、後者についてはスマホのカメラかこのスキャナを使って電子化することにしました。

ドキュメントスキャナがあれば、書類用にも兼用すればいいのではないか、と思われるかもしれません。が、このスキャナにはドキュメントスキャナとは異なるある特長があります。

それは「SDカードを内蔵できる」という点です。それのどこが特長なんだ?とお思いかもしれませんが、SDカードが内蔵できるということはEye-Fiが使える、ということで、PCに繋げなくても、このスキャナ単体で読み取った結果をEvernoteにアップロードすることができます。そして、Evernoteには、画像内の文字をかなりの精度で読み取り、後で検索できるようにしてくれる、という非常に優れた機能があります。

経験上、「A4一枚の紙」が一番なくしやすいものです。いや、捨ててしまうことはないにしても、とにかくどこかに紛れやすい。ファイルなどに閉じておいても、どのファイルに閉じたかがわからなくなる、という感じです。であれば、PCを立ち上げていなくても、スキャナにセットするだけで読み取り、Evernoteに上げてくれるこのスキャナがベスト。以前書いたエントリでも、それを目論んではいましたが、

  • 電池がすぐ切れる
  • やはり外付けのアダプタは外れやすい。
という点であまり使い勝手のいいものではありませんでした。

書籍の電子化、いわゆる自炊は、どちらかというと私用のためなので、いつやってもいい作業です。とにかく本に埋もれた部屋をなんとかするためと、タブレット端末での閲覧をしたいがためのことですから。

さて、方針が見えてきたところで、早速スキャナを購入しました。といっても皆さんご存じのとおり、ピンからキリなら、必ずキリの方を選ぶのが貧乏性の私です。w まずヤフオクをチェックし、中古のScanSnap S510を1万円で落札。ジャンク扱いの品でしたので動くか不安でしたが、xsaneで所期の動作をすることを確認。あと、前述のコンパクトスキャナ EXMODE ScanBit S-45 がアマゾンでなんと77%オフの2,980円で出ていたので、即購入。内蔵するEye-Fiは以前のものを流用することにしました。ということで計15,000円ほどでスキャナについては準備ができました。

自炊には、書籍をどう分解するか(ほとんどの場合は裁断機を使うでしょうが)という課題がありますが、こちらについてはまた今度。

 

フリーランスだからこそ、人と関わりましょうYO!

ウェブルさんみたいな有名ブログにトラバ送るのは恐縮至極なんですが、「フリーランスになって半年経ってこの世で一人ぼっちになったことに気付いて究極に失敗した」を拝読しまして、もしかしたらアドバイスになるかも、と思い、書いてみたいと思います。

私も今でこそ仕事を頼める社員がおりますが、起業してから6年ほぼ一人でやってきました。途中、体調を崩したり仕事が暇になったりと、いろいろありましたが、おかげさまでなんとかやれてきております。家で仕事をしている、基本的にフリーランス、などウェブルさんと仕事のスタイルとしては近いものがあります。仕事の内訳としては、都内の企業からWeb関連の仕事を振ってもらったり、後は地元企業や団体のITサポートをやらせていただいたりしています。名古屋周辺と千葉県鴨川市、というだいぶ異なった状況ですが、私自身は仕事は楽しいし(ラクではないけどw)、やりがいもあるし、お金はさほど稼げてはいませんが、まあやっと人並みくらいにはなりました。

さて、ウェブルさんは「人と関われていない」ことでお悩みのことと拝察しました。ここが私と大きく違う点でして、そこに重点をおいてみます。

ご想像に難くないでしょうが、田舎ではITに強い人というのは大変希少です。私も、当初は請負中心に仕事をシフトして行こうと思っていましたが、結局、請負と地元サポートという二足のワラジを履きっぱなしになっています。

というのも、売り上げ的な面はともかく、まさに「人と関わる」という点で、捨てがたいものがあるからです。

請負ですと、どうしても最終顧客とお会いしてお話する機会がありません。地理的に遠いこともありますし、営業エージェントさんがいて、制作会社さんがいて、という中で仕事をしていますから弊社のような存在はなおさら埋没しがちです。

一方、地元の企業・個人ユーザの問題や悩みを解決して差し上げると、それはもう、モロに感謝の念を受けます。作業をしていれば、お茶やコーヒーを出していただけますし、作業が終わって料金をいただいた後も、世間話に興じてしまうことも多いです。

これは一つには、私が地元育ちということもあるかも知れません。「高梨さんはどちらの方ですか?」と聞かれて「天津になります」と答えると、たいていの方は安心したような表情を浮かべられます。冷静に考えれば私がどこ育ちだろうと関係ないはずですが、実際にはそうなんです。

「お客様に感謝される」「笑顔を見られる」「人の役に立っていることが感じられる」という点において、とてもやりがいを感じており、それだけのために続けていると言っても過言ではありません。

ただ、ウェブルさんにそれをやれ、とは申し上げません。名古屋のような都会でどうそれをやったらいいか、私には見当がつかないからです。

ですが、もう一つ、別な側面から「社会と関われる」ことがあることをお伝えしたいと思います。

このブログでも度々言及していますが、私は毎週金曜日、市の公民館で行われている日本語教室にボランティア教師として参加させていただいています。これは市内在住の外国人に日本語を教えるというもので、もうかれこれ4年くらいやっています。もちろん仕事が忙しかったり、体調が悪かったりして出られないこともあるのですが、まあできる限り出ています。

こちらの動機としては、日本語を教えて人の役に立ちたい、というのももちろんありますが、それ以上に「自分がやりたかったことだから」というのがあります。学生の頃、一時期日本語教師になろうかと思って、その課程を取ったりもしていました。諸事情により、その道はあきらめたのですが、今はボランティアとしてやっています。それを「自己実現」というのかはわかりませんけれども。

それに、田舎ですとやはり外国出身の方と関わる機会が少なく、外国人と会うこと自体が面白い、というのもあります。実は先日も生徒の一人(アメリカ人)とFacebook友達になりました。

私がボランティア的にしていることは、他にも消防団や青年会議所(最近はすっかりご無沙汰していますが・・・(汗))、祭りの準備などをする青年団もあり、自分でもいささかやりすぎている気がしています。ただ、私以上に活動されている方もザラにいらっしゃいます。

そして、それらが嫌か?と尋ねられれば断じてNO!です。それらは全て、自分がやりたいからやっていることであって、嫌だと思ったらとっくに辞めています。仲間と会い、一緒に活動し、酒を飲みながらやへえやる(この辺の方言で「世間話をする」という意味」)のは、大変楽しいですし、ウェブルさんが物足りなく感じているところを、満タンにしてくれます。

で、何かと時間に都合がつくフリーランスなら、こうしたボランティア(的)活動は比較的参加しやすいと思うのです。名古屋市周辺のご事情は私にはわかりかねますが、おそらく市役所などに「ボランティア募集」の情報はあるのではないでしょうか。

私は基本的に、ボランティアは自分のやりたくないことだったらやらなくていい、と思っています。当たり前のことかもしれませんが、そうでないと続きませんし、volunteerとはそもそも「自発的に」という意味であって、苦役労働を強制的にやらされるのとは全然違います。

お金にならないことを無理にお勧めするつもりはありませんが、「究極的に失敗した」と思われる前に、試してみるべきことは沢山あることをお伝えしたくて、こんなエントリを書いてみました。ご参考になれば幸いです。

電子書籍スゴすぎだろワロタwww

おそらく本もロクに読まず、こんなつまらないブログをお読みの暇人の皆様こんにちは。w 仕事柄、というか個人的な興味が大半ですが、デジモノには目がない高梨です。

さて、世間ではやっと故スティーブ・ジョブズ氏の追悼モードからTPPに話題が移っており、そんな中ではありますが、「うは、やっぱiPadすげぇwww」と思ってしまったことが最近ありました。

というのも、手持ちの技術書を自炊屋さんに頼んでPDF化してあったのですが、それを読む機会がなく、ディスクの肥やし、いやクラウドの肥やしになってしまっており「このままじゃせっかく本買ってその上金かけて電子化したの意味ねーよな」とか自分でも思っておりました。が、ふと思いたち、iPad2に入れて読んでみたんですね。

愕然としました。

「今更何を?」とお思いの向きもあるかもしれませんが、なんかこう、今までとは全く違った読書体験でした。

何が違うかというと、まず頭に入っていくスピードが違う。普通に読んでいても速読しているような気分です。読んでいるのは技術書ですから、説明が理解できればいいわけで、人生の機微やユーモア、エンタテイメント性を求めているわけではありません(あってもいいとは思うけど)。それで技術書というとどうしても無味乾燥なイメージがあり、ついつい敬遠してしまう傾向がありましたが、これだけスイスイ頭に入ると逆に爽快です。

それから紙の書籍にはない、この「インタラクティブ」な感じ。読んでいる行為そのものが楽しくなります。私は人並以上に本が好きですし、テクノロジーについて知ることも好きですが、その私でさえ、技術書を読むときは「教科書」を読まされているような気がして、趣味の読書よりは不熱心になってしまいます。ですが、iPadなどのタブレットマシンで読むのは、そのイメージを払拭してくれます。今まで全く新しい方法で知識を得るというのは、それ自体大変興味深い。

「ならパソコンで読むのと変わらなくね?」と思ったあなた。そう、私もそう思っていたので、PDFをクラウドに入れっぱなしにしていたんです。でも、PCでPDF読むのって正直骨が折れません?ページを繰るのにボタンをクリックしたりスクロールバーをドラッグしたり・・・。あと、目の玉からの距離が遠いので、「読書」している気分とはほど遠いものがあります。が、タブレットを手に持って、スワイプしながら読み進めるのは、操作性・視認性の面から、はるかに「快適」です。

そして、私は日常的にブログやWebサイトをチェックしており、PCのモニタで文章を読むのにも慣れている方なのですが、iPadで書籍を読むのは、それともまた違った体験です。まず当たり前ですが、書籍ですから余分で目障りな「広告」がない。そして、これも当然ながらハイパーテキストでもないので、「リンク」や「ボタン」もない。要するに、文章そのものを読み込むことにぐっと集中できるわけです。紙の書籍でさえ、「片方のページ」という余分がありますが、それさえもないという点では、紙より優っていると言えるかもしれません。

・・・などとつらつら書いているうちに思い出したのですが、どうやら最近新会社を設立されたらしい私のアップル師匠のところで、初代iPadに触れた時まず感じたのは

んー確かに新聞や雑誌のビューア、あるいは書籍を読むんだったら秀逸ですね。でもそれだけじゃ勿体ないハードでもあります。

ということでした。それから1年半かかって、今更自分で感激しているわけですからアホな話なのかもしれません。

今のところ、電子化しているのは技術書の類だけなのですが、小説やドキュメンタリーなどだったらどうなのかなぁ。それに、紙書籍を電子化するときは、裁断するのが常識になっていますが、本当に非裁断ではできないんだろうか。なんかいろいろまたワクワクのタネが増えてきました。

弊社は「ベンチャー企業」なのか?

先ほど、かなり小っ恥ずかしいオナニーエントリ上げてしまったので、連投になりますが、草稿から大急ぎで書き上げたのを上げたいと思います。

さて、弊社は2005年3月末から営業を開始しまして、おかげさまで6年と半年になろうとしています。これも一重に皆々様のご支援・ご鞭撻の賜物でございます・・・と通り一辺なご挨拶は割愛させていただきます。w

例えば、新しい企業とお付き合いすることになったりして、自己紹介・自社紹介などしていると、「ああ、お一人でITやられてるんですか。ベンチャー企業なんですねぇ。」などと言われることがあります。また、いくつかのブログに弊社が取り上げられて紹介されるときも、「鴨川で頑張ってるベンチャー」のような記述だったりします。

それが嫌なわけではないんです。ベンチャーと言われるのも無理はないかなぁなどとも思いますし、まあ一応IT分野の仕事もしているし、事あるごとに「鴨川のGoogle」を自称してはばかりませんし(特に酒呑んだとき)。

ただ、自分としてはいわゆるベンチャーとはちょっと違うんじゃないかな、と思っています。むしろベンチャーという名にさえ値しないというか。

例えば、弊社では独自のサービス・プロダクツを永続的に運営しておりません。恥を偲んで打ち明けますと、このサイトにある「弊社謹製Webサービス」には以下のようなものが書かれています。

鴨川市内向け

  • 鴨川人のためのケータイSNS Zeego.org
  • 鴨川最旬情報サイト Kamox.net
  • 鴨川市立図書館⇔Amazon 相互参照ブックマークレット

一般向け

  • NHKラジオ語学番組キャプチャツール
  • Amazon⇔ブックオフオンライン相互参照ブックマークレット
  • 日本一短いURL取得 u4y.jp
  • コメントスパム・トラックバックスパム対策 DNSBL「スパム鯛めし」

この中で、なんとか脈を保っているのは1つだけ(NHKラジオ語学番組キャプチャツール)です。orz

そういう意味で「なんかスゴイ斬新なサービスやソフトを開発して一躍有名になる」といったタイプの企業ではないですよね。

それ以前に、そもそも私が起業したとき、「一発でかいヤマを当てて大儲けしたるぜ!」と鼻息荒く興奮していたか? いや全然。むしろ、釣具屋になりそこねて、「あー俺にはやっぱりパソコンのことしかできねーんだなー」とむしろ負け組的な気持ちが強かったですね。

そういうわけで、弊社はご存じの通りかなり「草食系」なIT企業であるとは言えるかもしれません。ガンガン営業をかけるわけでもなく、私と社員が食える分が仕事があれば、それで満足しております。

人肌寂しくなってきたので、ふと「愛とは何か」なんてことを語っちゃってみたりする。

や、そんなに高尚でも「かくかくしかじかである!」的な結論があるわけでもないんですがね。例によってオナニーエントリなのでその辺りはご了承ください。

ええとまず、仕事柄「パソコンが壊れたのでなんとかしてくれ」という依頼を多く受けます。そのために弊社があるようなわけなんで当然なんですが。で、たいてい「あー、これはもうダメですねー、買い換えましょう」という話に(やや意識的にw)持って行ったりします。その仕事が済んで「じゃあ古いパソコンどうします?」となったとき、さりげなく「もし不要ならば弊社が無料でお引き取りしますが」と言い添えるようにしています。

これはもちろん「修理・再生して新たに売る」ことも目論んでの提案なのではありますが、壊れてしまうようなPCは当然年式も古く、よほどの美品でないと他のお客様に使っていただくことはできません。それよりもむしろ、感情論として「今まで一生懸命ご主人様に尽くしてきたのに、壊れてしまったからと言って廃棄されてしまう機械が不憫でならない」という気持ちの方が、どちらかというと強いんですね。

実際、そうしてお引き取りしたPCは中古品として売ったという実績は今までのところなく、弊社のインフラ(設備)として余生を過ごしてもらっています。例えば、弊社のファイアウォールは12年前に発売されたパソコンを今も再利用して使っていますし、しばらく前まで寝床で使っていたノートPCは同じ機種の別の箇所が壊れたものを繋ぎあわせた「ニコイチPC」でした。

そういう心掛けのせいか、私自身が購入して使ってきたPCでパーツも含め、「壊れた」ものというのはほとんどありません。自分でいじったり、床に落としたりして「壊して」しまったものはいくらかありますが。自分のPCが壊れないでお客様のPCがいい感じに壊れてくれるのはなんとも都合のいいことではありますが、実際のところそうなんです。

逆もまた真なりで、これは実感としてあるんですが、故障する率が高いのはどちらかというとフラストレーションを感じながらパソコンを使っているお客様の方が多いような気がします。「人間の脳波が機械に影響する」なんてことはおよそ非科学的なのであまり言いたくないのですが、そんなこともあるんじゃないかと思うくらい感じます。

ええと、俺は何を言いたかったんだっけ。そうそう「愛とは何か」ということでした。

で、ですね、上の「機械も愛情を持って使えば応えてくれる」ということとも微妙に関連するんですが、じゃあもっと狭義な(人間に対する)「愛って何」ということについて考えてみたいんですね。

35にもなって独身でおりますと、さすがに周りが「結婚、結婚、ケッコン、コケコッコ・・・」とニワトリのように騒ぎ始めます。お察しの通り、同居している親からは「早く嫁さん見つけろ」と顔を合わせるたびに言われておりますし、友人・後輩からも同様です。

そこで、考えるんです。したり顔で私にかく申す彼ら自身は、奥さんに愛情を持って接しているのだろうかと。幸い、私の周りにいるやつらは生粋の日本男児でありまして、自分の細君を人前で褒めそやしたり、人目もはばからず抱擁したり接吻したりするような軽佻な輩はおりません。むしろ彼らの口をついて出てくるのは揃いも揃って「うちのヨメさんはさぁ、カクカクシカジカでほんと参るよ」という愚痴なんですね。最初はノロケのうちかと思っておりましたが、どうやら本気で悩んでいるらしい。「じゃあ結婚なんてしなければよかったじゃないか」と言いたくなるくらいの愚痴りようなんであります。

ではありますが、そこで私が「ああそうだよな、お前の奥さんはシカジカでほんと最悪だよな。いや全く同情するよ。」などと言おうものなら、流血沙汰の喧嘩になりかねないことは、いくら空気が読めない私でも重々承知しております。同情して不興を被るというのも奇妙な話ではありますが、これまた事実。

以上のことから、つらつら考えてみるに「愛(情)ってのは、算段(理屈)を超えた何か」なんだな、ってことです。なんか平凡なオチなんですけどもう少し説明します。

分かりやすいところで「子供に対する愛情」ってのを考えてみましょう。私にはもちろん子供はおりませんが、一応親というものがあり、人並みに育てられておりますので、親の愛情を受けた経験はあります。

では、親というものが「自分の子供はこれこれこういう長所がある一方でこういう短所もあって、でも総合的に考えて、長所の方が大きいからうちの子供はかわいい」といった計算をして子供を愛するものでしょうか? いや、絶対に違うと思います。世にもよく「できの悪い子ほどかわいい」と言われている通り、むしろ欠点があるからこそ愛情が増すということもあるのではないでしょうか。

「恋と愛の違い」なんてのも女子向け雑誌で話題になったりしますが、その違いというのもそんなところにあるんじゃないかと思います。つまり「恋」ってのは、相手の長所・美点「しか」見えていない状態。「私のカレって、背が高くって、イケメンで、お金持ってて〜」というアレです。ま、実際そう露骨にノロケることはないのかもしれませんが。w

あるいは、「◯◯マニア」「△△のファン・追っかけ」「□□オタク」に対する世間一般の冷めた見方の原因というのもそういうところに因を発するものかもしれません。つまり、「こいつら、こんなにモノ(あるいは他人である芸能人、アニメキャラなど架空の人物、etc…)に対して血筋を上げてるけど、本当はもっと愛情を注ぐべき対象があるんじゃないの?」という言葉にならない不信感です。その不信感というのももっともで、概してなんちゃらマニアはその対象の美点しか注目しません。つまり彼らの愛情は「説明可能」なのです。説明されてもその良さが「パンピー」にはわからないことは往々にしてありますが、とにかく本人には理由が分かっています。

私が壊れたパソコンを引き取るのは、それが「処理速度が速く、大容量で、消費電力も少なく、つまり私にとって素晴らしいものだから」ではないことは先程述べた通りです。もっと早くいうと、機械に対して人に対するのと同じような「人格」を見出していると言ったらいいでしょうか。

そこで鋭い方なら、「じゃあお前が飯の種にしているという『ソフトウェア』に対してはどうなんだ?」と問われるかもしれません。それは「いい質問ですねぇ。」 以下、ちょっと長くなりますが、私の言いたいところなのでだいぶ遠回りになりますが、お暇な方はおつきあいください。

面白いことに「プログラム(またはソフトウェア)を・・・」に続く述語は人それぞれでありまして、ある人は「作る」と言い、ある人は「組む」、またある人は「上げる」と言ったりします。私はそれらのどれも使わず、一貫して「書く」という言い方をしています。ここは結構こだわっているので例外はないと思います。

なぜそんな言い方にこだわっているかというと、将来どんなに開発ツールが進化しても、おそらくプログラミングの本質は「書く」ことに他ならないと思うからです。そして、書くというのは、(このブログもそうですが)本質的に「文字を並べて意味を成す」ことです。

世に新聞・雑誌・書籍・論文などいわゆる「書き物」の類は数多くありますが、それらは言うまでもなく「人間に」読まれることが前提で書かれています。ではプログラムは、というと、第一義的にはコンピュータに読まれることを前提としています。それは当然のことで、コンピュータが読んでくれないプログラムは動作せず、売り物にならないからです。ただ、一義的にはそうなんですが、では動作しているプログラムは書かれる人によって違いはないのか、というと、これはもう歴然とあるものなんです。書く人によっては「美し」くて「文学性」や「ユーモア」を感じることさえあります。

だから、私はプログラムを「書く」という言い方にこだわっています。「作る」や「組む」だと、物理的に機械を作っているようで(成果物はそれに近いんですが)あまり好きではありません。

さて、私にとっては「書き物」であるプログラム自体が愛情の対象にならないのは、ラブレターの書き手を思い焦がれることはあっても、その便箋自体を恋慕するわけではないのと同様です。プログラムを見て「こいつ頭おかしいだろ!」と毒づいたり、「うぉっ、クールな処理してんなー」というのは常にそれを書いた人に対してです。

なので、意外かもしれませんが、プログラムそれ自体に「人格」を見出すことはほとんどありません。あるとすれば、たいていは顔も知らないその書き手に対して同業者としての判断を下す、というところでしょうか。あるいはLinuxを作ったリーナス・トーバルズやRubyの生みの親のまつもとさんに対して、冗談まじりに「教祖」と崇めたりすることはありますが、それは「愛情」とはかなりかけ離れた感情です。

というわけで、今日の白熱教室では、人が何かを「愛する」というのは、その対象が「良いから」とか「素晴らしいから」といった「説明可能な理由を持つ」からだけではないということが見い出せたとても意義深いものになった。東京・上海そしてハーバードの君たちに感謝したい!ありがとう!

「ドジョウプログラマ」でありたいなぁ

私のしていることがプログラマなのかはさておき、まあ田舎に暮らしておりますと、IT企業と言ってもパソコン購入の相談に乗ったりとか、ちょっとしたWebアプリを作ったりだとか、パソコンが壊れたから直してくれというのに対応したりとか、ホームページの更新の仕方を教えてくれとか、LANケーブルの配線からクラウドシステムまで、ありとあらゆることをしませんと、生活していかれません。

一昔前はプログラマ定年38才説だとか、いや35才だとか色々言われておりました。プログラマはそのくらいの年齢になると体力が低下し、ゴリゴリコーディングすることができなくなる、だから早々に見切りをつけてSE(システムの設計をする人)になった方がいい、というのが通説のように言われておりました。

確かに納期直前の慌しさとかエンバグ対応とかは、それなりにハードで、◯日間貫徹なんてこともあるんですが、それは概してプログラマが自由を求める人種であるからであって、悪く言えば納期前にならないとエンジンがかからないプログラマが大半(だと思うw)だからなんだと思います。

では、コーディングが嫌か、と言われれば、断じて”NO”です。私の同期の中にはいわゆる上流工程やクライアントとの交渉、マネージメントの方向に行ってしまった人たちもいるんですが、彼らがやっていることが面白そうだとは思わない。

問題のあるプログラムを調査して長いこと原因がわからなかったバグを潰したり、顧客と電話でやりとりしながらライブ感覚でコーディングしたり、時には自分用に作ったソフトを利用しやすい形に直して公開して大衆から絶賛を浴びたり、もうそういう感覚が楽しくってしょうがない。そりゃあ時には辛いことはありますけど、それはどんな仕事だってそうですし、それを補ってありあまる達成感はこの職業でなければ味わえないんじゃないかな、と思ったりもします。

だから、私はドジョウプログラマでありたい。

ドジョウのように泥臭く、お高くとまって喋ることばかりが上手な上流屋さんに堕することなく、最新の技術トレンドを追い、ワクワクし、鍛え抜いた集中力と、なぜか身についた勘を駆使しつつ、下手くそなコードを量産していたい。そして見積りはやや強気で出す。w

そんな風に暮らしながら、田舎でうまい魚食いながら年を取っていければ、最高だよなぁ、と思う今日この頃なのです。

天津の田舎もんがNYに行く の巻 – Final

フェイスブックには現地でのレポートを載せておりましたが、こちらは更新しておりませんですみません。9月6日の早朝、無事帰還致しました。(`・ω・´)ゞ

ええと、最初に断っておきますが、ニューヨークでは、皆さんがご想像するような遊びは全くしませんでした。なぜって?食べ物が想像を絶するくらいまずいのに、そんな気まるで起きませんよ。「衣食足りて生殖を知る」と先人の言葉にもあるように(ウソ)、人間、食欲が満たされないとそういう気にはなれないもんです、なかなか。

2,3日ならともかく1週間以上滞在するのであれば、食品武装を万端に整えていくことを強くお勧めします。私は鈴木さんのアドバイスにより、カップラーメンとインスタント味噌汁を持ち込みましたが、これに大変救われました。

2日目の朝にして耐え切れず手をつけたカップラーメン

他に、削り節のパックや、固形コンソメ、梅干しなどもいいと思います。

それはさておきまして、ニューヨーク、観光という点ではなかなかよかったです。特にマンハッタン島のダウンタウン(南方エリア)は、ぶらぶら歩いているだけで、なんとなく映画で聞いたような地名に出くわし、「お、ここがあれかぁ」と飛び込んだり。キッチリキチキチ計画を立てて行くのは休日の過ごし方としてふさわしくない、と考えている私のような人にはオススメな観光地です。だいたい周りがガイジンばっかりなんですから、嫌でも異国情緒に触れることはできます。w

というわけで、ざっと現地で取った写真をご紹介したいと思います。

ほんとはこれ以外にも行ったところはたくさんあるんですが、あんまり写真撮るのが好きじゃないんで、有名なところを抜き出しました。

ところで、観光はまあまあ楽しめたんですが、えらく難儀したのが買い物や飲食店での注文など、やはり日常の生活に関わる事どもでした。

実は、ハリケーン・アイリーンの影響で、ニューヨークの前にデトロイトで一泊することを余儀なくされました。モーテル(?)みたいなところに泊まったのですが、そこでは食事を自分で取る必要があります。近くにコンビニのような店があったので、そこで買い物したんですが、レジに商品を持ち込むと、店員のオバチャンが “How are you?”と聞くんですね。学校英語だとたいてい “May I help you?” と尋ねられると教わるんですが、”How are you?”は教わってなかった。

で、教科書通り “I’m fine thank you, and you?” とニッコニコしながら答えたら、

相当けげんな顔をされました。orz

こういう場合、なんと答えるのが正解かというと “Fine, thanks.” くらいを、モゴモゴっとつぶやけば十分なようです。

あとは例えば食事するときにコーヒーを頼んだとしましょう。日本だと、砂糖やミルクはコーヒーに添えられて出てくるか、自分で勝手に使えるようになっています。が、アメリカではほとんどの場合、注文するときに”With milk and sugar?(砂糖とミルクは要りますか)” と尋ねられます。よくよく聞けばわかるんですが、こっちはそう尋ねられることを想定していないので、戸惑うんですね。これ以外にも、サンドイッチは温かいのにするか冷たいのにするか、ソースは何にするか、サラダのドレッシングは何がいいか、などなど、実にいろいろなことを尋ねられます。つらつら考えてみるに、奴らは、こういう選択肢が多ければ多いほどいいサービスなのだと考えている節があります。

こうした会話以外にも

  • デトロイトのタクシーではバスターミナルから空港近くまで、行きの3倍の料金をぼったくられたり
  • 宿のシャワーの出し方がわからず、20分以上バスルームで悩んだり
  • 夜中の3時に地下階で洗濯しようと思ったらクォーター(25セント硬貨)が足らなくなり、近くのコンビニまで3回両替しに行ったり
  • スーパーでうどんが売っていたので見ようとしたら、箱ががばっとあいて中身を床にぶちまけたり
  • ビールを買おうとしたら、レジのチャンネーに「あんた、年齢足りてんの?ID見せなさい」と言われたり
  • 楽しみにしていたグラウンドゼロは再建工事中で全く立ち入れないことがわかったり
  • おみやげに買ったビーフジャーキーは税関で取り上げられ、しかもピクルスが一瓶スーツケースの中で全開していたり

これ以上はないくらいズッコケまくりな体験ばかりでした。

ニューヨークを歩く上で覚えておいた方がいい英語の言い回しを2つだけご紹介します。それは “Excuse me, sir.” と “Can I have 〜?” です。

特に前者は必須で、やつらは自分の背後や周囲の状況に全くといっていいほど注意を払いません。通行人がいるにもかかわらず平気で道を塞ぎ、 談笑などしています。こういうときには、びびって回り道をするのではなく、丹田(へその下)に力を込めて “Excuse me, sir!”と、ややイラついている体ではっきり言うと、道を開けてくれます。後者は食事をするときももちろん使えますし、買い物にも、機内食の選択にも使えます。「キャナイハヴ」の後に自分の欲しいものの名前を入れればいいだけです。

あと、もしかすると道を尋ねられることがあるかもしれません。まさかとお思いでしょうけれども、実際私も何回も道を尋ねられました。どこから見ても日本人だったでしょうし、片手には地下鉄の地図を持っていたにもかかわらず、です。(さらに驚いたのは、なんとかそれを教えることができてしまったらしいことです。)そういうときは、”Sorry, I’m new to here.” でOKです。

ハリケーンのケツを蹴っ飛ばしながら地球の裏側まで出張って思ったことは、「やっぱり天津が一番いい」ということです。食べ物は何でも安い上にうまいし、子供だけで出歩いても全く心配ないくらい安全だし、気が効いて親切な人ばかりだし、公共交通が多少不便ではありますが、そんな欠点は補ってありあまるほどの長所が天津や鴨川にはあります。

 

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