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ブログやっても金にはならんよ。という話

よく、「ブログ&アフィリエイトで高額収入!」みたいな広告や雑誌の記事を見かけますが、ブログを一生懸命書いても、それに見合う収入は得られません。大切なことなので二度言いますね。

ブログを一生懸命書いても、それに見合う収入は得られません。

まあせいぜい月に2万~3万稼げればいいほうです。あなたがよほどの有名人か、専門的知識に精通しているか、あるいはダークな手法を取るかしない限り、そんなもんです。

「お前だって自社サイトにアフィリエイト貼ってるじゃないか」って?そりゃそうです。なぜなら、

客先で、自分でクリックするために貼ってますから。(笑

まあそれだってあんまりやらないですけどね。ただ、自社サイトならまず忘れることがないので、セルフクリック専用に貼ってます。

知り合いで雑誌の原稿頼まれて書いてるやつがいますけど、その原稿料だってたかが知れてますよ。ましてや無名の一般人が自分のブログに広告貼ったところでその収入だけでは・・・ね。

ただ、ブログを書くことが全く意味がないかというと、そうでもありません。本で読んだ言葉を借りるなら、

ブログはあなたのファンを作るためのツールである

と割りきれば、十分その効果は期待できます。特に私のように、身分を明かして、しかもちょっとユニークな立場(田舎のIT社長)にある人は周りの反応を直に聞くことができますし、あなたが実店舗を構えて商売しているなら、顧客獲得に繋がることもあるかもしれません。

ただし、会社の広報担当とか一社員いう肩書きでは面白いブログを書くのは難しいかもしれませんね。なぜなら、どこまで情報を明かしていいか、決裁できないからです。そして、貴重な情報を得られないブログは面白くないからです。この点、ブログは個人向け、もしくは小規模経営の会社向きと言えるでしょう。

先ほど挙げた「反応を直にきくことができ」るというのは、結構やってて面白いです。もちろんコメントもありがたいですけど「社長!こないだ書いてた○○のこと・・・」とか「高梨君もブログで書いてたけど・・・」と顔を合わせたとき話のタネになることが、よく、いやしばしばあります。特に私はベシャリがあんまり得意ではないので、向こうから端緒を開いてくれるというのはありがたいんです。

最近、twitterも始めてみましたが、あれ(140文字以下)では自分の思うことは書ききれないし、流れてくる情報もそんなに面白くないし、あんまり興味を持てないですね。やっぱりブログがやってて一番面白いです!

民間が経済的に苦しいのだから役人も・・・という発想はおかしい。

例えばよく選挙なんかで「市職員の給与○パーセントをカットし・・・」とか、テレビで「民間が不況にあえいでいるのに、役人はこんなに給料もらっている」という報道がされたりとかしますが、あれおかしいと思うんです。

そりゃまあ使われているのは私たちの税金ですし、「俺らがこんなに苦しいのに役人ばかりいい目を見やがって!」という気持ちは心情的にはわかります。

が、しかし。

じゃあ皆さん、仮に儲かる立場にあったとして、それが大々的に報道され、首長になる(かもしれない)人に「お前らの給料カットするからな!」と声高に叫ばれたらどう思います? 「冗談じゃねぇよ!」でしょ。「いくらもらおうがこっちの勝手だ!」と。私だってそう思います。

言っておきますが、私は公務員になろうと思ったことは一度もないですし、普段の言動からもお分かりの通り、基本的にアンチ役人なんです。が、それは彼らの無能力ぶりを見て、一緒にされたらかなわんと思うからで、不況を見越してかどうかわかりませんが、彼らの取った選択はなかなか賢かったのではないかと思っています。私ほどではないにしろ。

むしろ最近は、「(彼らの能力にしては)まあまあがんばってるんでないの」と評価さえしています。

くだらない役人叩きはやめにして、給料に見合った働きをしてもらうにはどうしたらいいか、ということを考えたほうがより建設的だと思いますがどうでしょうかね。

P.S.
最後に、私が個人的にお世話になった、また、なっている行政職員の方々、このような言明をどうぞお許しください。

「文は人なり」はある程度真実だと思う

「文は人なり」という言葉があります。昔の中国発の言葉だとずっと思っていましたが、フランスの博物学者ビュフォンの言だそうです。

電子メールというものが世に知られるようになったとき、「手書きの手紙に比べたら見た目が画一的で味気ない」ということを言っていた人がいました。でも、そうかなぁ、思っていました。確かにどのメールも同じフォントで表示されますから、ぱっと見た目は同じかもしれません。けれども、よく読んで見れば、その人独特の言い回しとか、よく使う言葉とか、あるいは「だ・である」体か「です・ます」体か、人によっては漢文・古語の素養をさりげなく忍ばせたり、もっとわかりやすいのは顔文字を使ったりと、メールといっても人それぞれ個性が表れるものだということがわかります。

最近、仕事でご一緒した方から

 メールの文面で高梨さんの人柄がものすごくつたわってきました(大笑) 良い人なんだなって。。。

と言われました。そんなにほめられるような人柄でもないと思うのですが、メールの文面でも人格とか性格を伝えられることもあるんですね。

だから、きっと「文は人なり」という言葉はある程度真実だと思います。特に市井の一般人なら嘘を書く理由はないのですから、信憑性は高いかもしれません。

メインマシン(DELL Vostro 1500) OS 載せ替え

先日、「気づいたらFirefox以外のブラウザがことごとく動かなくなってた」件を書きましたが、原因追求も面倒ですし、ちょうどいい機会なので部屋の模様替えの感覚で Ubuntu Linux を入れてみました。メインユースのマシンをLinuxにするのは5年ぶりくらいです。若かりしころはアンチM$で鳴らしていた私も、すっかり大人になってしまいました。

で、その結果ですが、パフォーマンスもさることながらデスクトップ用途としてはパソコン初心者でも十分使えるレベルになっていると感じました。印刷の設定はまだやっていないので確信は持てませんが、難しいのはそのくらいだと思います。

ただ、仕事で使う上でWindowsでしか実現できないこともあるにはあるので、 VirtualBoxにWindows XPを入れてあります。不思議なことに、仮想環境の中の方がWindowsの体感性能はいいです。メモリなど512MBしか割り当てていないんですけどね。このVirtualBoxがまた非常によくできていて「シームレスモード」にすると、Windows上のアプリがLinuxのデスクトップで動作します。(下図参照)

VirtualBoxシームレスモード

わかりますでしょうか?WindowsのExcel, Wordと、LinuxのGimp, Firefoxが、その名の通りシームレスに並列動作しています。今までOSを仮想環境で動作させることにイマイチ興味がなかったのですが、VirtualBoxのパフォーマンスと使い勝手のよさには脱帽です。これがXenとかKVMとかだったらサーバ用途でも十分な性能があると考えてもよさそうです。

あとはiTunesをWine上で動かすことができれば(って全然仕事には差し支えありませんけど ^^;)Linux環境構築はほぼ終わりかな。

気づいたらFF以外のブラウザがことごとく動かない・・・

たまにはChromeでも試してみるかぁ・・・、と思って Google Chrome を立ち上げると、エラー。

んじゃ、IE8はどうかな、と思って立ち上げるとやっぱりダメ。

あれ、そんじゃSafariはどうかな、と思って立ち上げると、これもダメ。

・・・。なにこれ|-`).。oO(・・・)

数日前にインストールした ESET NOD32 V4が怪しいと思ってアレコレためしてみましたが、上記3ブラウザは動作せず。Web屋がこんなことでいいんだろうか。いや(・A・)イクナイ!!

そろそろクリーンインストールの時期ってことですかね。というか、Windowsで使ったVirtualBoxがかなりいい感じだったので、ベースOSはUbuntu、ゲストOSとしてWindows XP という構成にしようかと考えています。 使っているアプリの一覧を眺めながら対策を検討中。

「時そば」を中国の生徒に披露したら・・・

ここのところ、ブログの更新をサボっていたら、消防団の後輩のN村君に「社長!最近ブログ書いてねぇじゃねぇですか!」 と突っ込まれましたので、いい心持で眠れそうなところを我慢して書いています。
#つーかね、みんなあんまり期待しすぎなんですよ。田舎の計算機屋がそうそう面白い話ばっか書けねぇっての。(笑

さて、このブログでも何度も書いていますが、毎週金曜日に中央公民館で市内在住の外国人に日本語を教えています。先週も教室があって、「○○することができます」「私の趣味は○○することです」という文型を教えました。要するに、「辞書形」と言って「書く」「歩く」「言う」「勉強する」など、動詞の原形を覚えさせるのが狙いです。外国人向けの日本語の教え方では、「書きます」「歩きます」「言います」「勉強します」などの「マス形」を最初に教えるので、後から辞書形を教える必要があるんです。

で、「あなたの趣味は何ですか?」と聞いていったら、ある中国人の生徒が「私の趣味は冗談を言うことです」と答えました。「じゃあ中国の冗談を教えてください」とリクエストしましたが、まだ日本語で表現するのは無理があるようでした。なら日本の小話を教えてあげようというわけで、有名な「時そば」のオチを紹介しました。以下はその時の再現です。

ずっと昔、そばが一杯十円で食べることができたころのこと、ある人がそばを食べてお金を払おうとしていました。
「じゃあ、一円ずつ払いますよ。一円、二円、三円、四円・・・。ところで今何時ですか?」
「五時です」
「六円、七円・・・」

落語を現代標準語で再現すると、かなり雰囲気に欠けますが、江戸言葉は通じないので仕方ありません。肝心の生徒の反応は、というと、「ヤヤウケ」でした。どこが面白いかはわかっていたようですが、小話という形式自体に馴染みがなかったからかもしれません。時そばなんて万国共通で通じるかと思ってましたが、違うんですね。

ことほどさように笑いというのは文化依存的、わかりやすく言うと、国によって笑うツボが違うものです。アメリカのジョークを聞いてどこが面白いのかわからない、と思ったことがないでしょうか?その感覚なんです。逆に言うと、その国のジョークで相手を笑わせることができたら、あなたの語学力と文化理解度は相当なものです。私はまだ英語でしかそのレベルに達していません。

・・・ああもう2時を過ぎましたね。今日のところはこのくらいで勘弁してください、Tケシ君。

ユーモアについて

ユーモアやジョークについて大真面目に語るというのもかなり興ざめな気もしますが、まあお暇でしたらおつきあいください。

さて、私は冗談やシャレを飛ばすのが大好きです。もちろんウケないこともままあるのですが、うまく笑いを取れたときには心の中で快哉を叫び、一人悦に入っています。

もちろん人を笑わせることそのこと自体も好きなのですが、なぜそうするかと問われれば、「ユーモアは人が人にできる最小の奉仕」だと思っているからです。

もう10年も前のことになりますが、私の従姉がガンに冒され、県立ガンセンターに入院したことがありました。その従姉は、身内びいきを差し引いても、美人で愛想がよく、皆に好かれる存在で、もちろん私も大好きでした。全てを奪う最終病魔が彼女の体内に見つかったのは、結婚して子供が生まれ、これから幸せな生活が始まる、と誰もが思った矢先のことでした。ご存知の通り、若いうちのガンというのは進行が早く、私が見舞ったときには髪の毛も抜け落ち、骨と皮ばかりになってしまっていました。

病室で彼女に会ったとき、私は一瞬かけるべき言葉を見失いました。だってそうでしょう、死が目前まで迫っているのは従姉だってわかっています。もうすぐ家族、友人、全ての人、全ての存在に別れを告げて去って行かなければならない者に向かって何と言ってあげればいいかなんて、誰がわかるでしょうか。

内心泣き出したい気持ちをぐっとこらえ、私にできたのは、従姉の昔のエピソードを交えながらからかい倒して涙が出るほど笑わせることでした。「お姉ちゃん、昔こんなことしたよねぇ」「あのときはたまげたねぇ」

それからまもなく従姉は亡くなりましたが、ベッドの上で笑い転げていたあの一瞬、つらい現実を忘れさせてあげることができただろうかと時々思い返しています。きっとできたよね、アッコ姉ちゃん。

携帯各社はフィルタリングサービスを開放すべき&ネットいじめについて

今日、保護者・子供向けに作られたDVD「ちょっと待って、ケータイ」を見ました。本当はずっと前から借りていたのですが、なかなか時間が取れず、今日になってしまいました。
#今日になってわかったんですが、オンラインでも見れるんですね。早く探しとけばよかった。orz

私がしようとしているのは、子供向けではなく分別のある(はずの)大人向けの地域SNSですから、微妙に視点がずれているのはひとまず置くとして、「これを見終わった後に子供に携帯持たせようとする親はいるだろうか?」と感じました。

子供向けのフィルタリングサービスがどのような形で提供されているのかは未調査ですが、根本的な問題は、「フィルタリングサービスが携帯キャリア各社の提供するものしか利用できない」という閉鎖的かつ独占的な状態にあると思います。これでは競争の原理が働きませんし、負荷分散の意味からしても健全な状態にあるとは言えません。

一方、精度のいいフィルタリングサービスならお金を払ってでも利用したい、という保護者側のニーズは容易に予想できますし、これを提供するための手法なら、インターネットで培われた技術(プロキシ、ベイジアンフィルタ、DNSBL、etc…) があります。携帯からIP網に出て行く部分は集約されていますから、そこにちょっと変更を加えれば容易に対応できるはずなのですが、そうしないのは大人の事情なのかもしれません。

それから、いわゆる「ネットいじめ」について。

形こそ違えど、いじめは昔からありました。かくいう私も「いじめっ子」だったか「いじめられっ子」だったかと問われれば、後者に属すると思います。だから、被害を受けた側の気持ちもある程度分からないでもありません。

けれども、だからこそ学べたことというのもあります。私の場合は「相手を許す気持ち」難しく言えば「寛容の精神」がそれでした。どこまで相手を許せるか、こいつがこんなことをする背景には何があるのか、徹底的に考えてみようということに挑戦してみたら、今までは見えなかったいろいろなことが見えてくるようになりました。また、そういう考えをするようになると、不思議といじめられることも少なくなっていったような気がします。

「死ね」「ウザい」「キモい」とネットに書き込んで特定の相手を傷つけるのは、誰でもできる簡単なことです。子供のうちなら、そんなくだらなくて価値のないことをするより、「少しだけ」難しいことに挑戦して欲しいですね。大人と違って、いくら失敗してもいいんだから、どんどんやってみて欲しい。数学で100点を取るとか、夏休み中に本を100冊読むとか、部活で全国大会に出場するとか、「無理!」と思えることくらいでちょうどいい。親にも誰にも言わなくていいから、自分だけの目標を作ってやってみたらいいと思います。挫折することもあるでしょう、努力が報われないこともあるかもしれません。でも、それでいいんです。「努力は報われないこともある」ってことを学べたら、もうそれだけで十分。それに、勉強ってあなたが考えてるより無駄にはならないよ。勉強が人生の全てではないけれど、あるのとないのとでは人生の楽しみ方が全然違ってきます。

私はこの前33になったオッサンですが、まだまだ勉強したいことはたくさんあります。中国語・韓国語を話せるようになりたいし、ラテン語を読めるようにもなりたいし、ギターのコード演奏ができるようにもなりたいし、日本語のルーツを知りたいし、自動車の構造をもっと詳しく知りたいし、船や飛行機を操縦できるようになりたいし、長い人生をかけて学びたいことは、もうそれこそ山のようにあります。

子供のうちの勉強と、大人になってからの勉強は少し意味合いが違うのかもしれませんが、大人の勉強をするための土台作りと考えればいいんじゃないかな。少なくとも、「いじめ」よりは絶対やりがいがあります。

汉语日记

我现在学汉语。写想说的事情是很难。但是,很有参考价值。

说实在的,我不太明白 qi 和 chi, shi 和 xi 的差异。因此,还是写是有意义。

却说,明天有日本语班级。幸好我的学生都是中国人。他们总是甘心教我汉语。可感谢的。

「お前はどうやってそんなITスキルを身につけたんだ」

と尋ねられることがよくあります。実際、今日行ってきたとあるオフ会でも、聞かれました。答えとしては「ほぼ独学です」になります。情報学部に通ったわけでもないですし、パソコンスクールに通ったこともありません。

ただ、最近分かり始めたことですが、一つだけ皆さんと違うかもしれないのは、良く言えば知的好奇心が旺盛、もっと簡単に言えば

非常な不思議がり屋

だということです。

言うまでもなく、世の中には様々なテクノロジーがあふれています。いわゆるIT(情報技術)に限らず、自動車がなんで動くのか、地デジになるとなんでテレビが綺麗に映るのか、アスピリンを飲むとなんで頭痛が治まるのか、挙げていけばきりがありませんが、そうしたことの一つ一つが私にとっては不思議なんですね。そうした中でたまたま興味を持ち続けられたのがコンピュータとかインターネット周りのことだった、というだけです。

だって不思議じゃありませんか?ここで打ったメールがなんで地球の反対側にいる相手に瞬時に伝わるのか、その仕組を知りたいと思いませんか?それに比べれば、超能力とか霊視とか、なんてつまらない能力だろうと思います。だってそんなことは超能力があれば誰でもできます。それよりも、外国の超能力者と日本のテレビ番組司会者が、遠大な距離を隔ててお互いの顔を見ながら会話しているという、その事実の裏側でどんな仕掛が動いているのかということのほうがよほど興味が持てると思うんですよね。

SF作家故アーサー・C・クラークの言葉で「十分に発展した科学は魔法と区別がつかない」というのがありますが、まさにその通りだと思います。仮に、江戸時代の人を現代に連れて来たととしたらもう不思議どころの騒ぎじゃなく、魔法の国に連れて来られたと思われてもしかたないんじゃないでしょうか。

象牙の塔にどっぷりはまって脳味噌が麻痺している学者の言葉とは裏腹に、情報技術、もっと広く言えば、計算機関連の技術は、まだまだ発展の余地があります。例えば、人工知能の分野はこれといった成果を挙げられていませんし、自然言語のモデル化にしても然り。明日には大きな素数の積を瞬時に因数分解できるアルゴリズムが発見されるかもしれませんし、量子コンピュータの実用化も目処がたっていません。光ファイバーよりも高速で簡便な情報インフラ技術を開発したら、一夜にして大儲けできます。もちろん、研究者と違って、在野の社長レベルでは、そういう最先端の研究はできませんが、それでももうその可能性を考えただけでワクワクしてしまうんですよね。新しいイノベーションを誰でも利用できるように提供すること、それが弊社の存在理由の一つだと思っています。

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